中国の国共内戦が招いたメーサロンの数奇な歴史

第二次世界大戦の終結後に日本軍が撤退した中国は、蒋介石の率いる国民党を政権党とする中華民国として成立していました。しかし、ゲリラ戦法で力をつけた毛沢東率いる共産党との内戦が勃発し、結局は共産党が勝利。1949年に中国本土では中華人民共和国が建国、また国民党軍の大半が台湾に逃亡した結果、台湾では国民党政権が引き続き残ったことは、歴史の授業で学びました。

教科書に記載された国共内戦は以上の記述で終わりますが、東南アジアについては更なる歴史的事実が続きます。中国雲南省とビルマやラオスとの国境地帯では、雲南反共救国軍(国民党軍)による戦闘が続き、中国人民解放軍(共産党軍)の勝利が決定的になったのは1951年のこと。その後もこの地に残った国民党残党(雲南人民反共志願軍)によるゲリラ戦が行われました。
 
その後10年ほどが経過し1960年代前半頃には、雲南人民反共志願軍に参加した兵士の大半が台湾に出国しましたが、一部はタイ北部に残留することに。こうした残留兵士によって、以前に紹介したメーホンソン近郊の「Ban Rak Thai」やメーサロンといった街がつくられました。メーサロンにたどり着いた、元国民党将軍・段希文はこの地を実効支配下に収め、クンサーと共に麻薬の製造や密輸を行なう、この地の「王」として君臨しました。1970年代に入ってようやく、タイ政府から公式に居住権が与えられた結果、観光や農業といった合法的職業に従事することが可能となり徐々に麻薬産業から撤退、現在の安全で素朴なメーサロンの街へと変貌します。
 

メーサロンでは、かなり中国語(北京語/普通話)が通じる

実は私、過去に中国政治の研究を行っており、中国語を精力的に勉強しました。現在は東南アジアを拠点に生活を移したこともあり、片言のタイ語は判りますが、実際には中国語の方がよほど得意。まぁ、日本語>>>>>英語>中国語>>>>>タイ語・マレー語といった感じでしょうか。この地について予想はしていましたが中国語がかなり通じる、しかも(とくに年配者には)英語より通じるかもしれないということに気づきました。例えばバイクを借りたいとき、「I want to rent a bike」よりも「我想租一辆摩托车」(Wo Xiang Zu Yiliang Motuoche)と言った方が通じやすい。これは驚きでした。
 

中国国民党支配ゆかりの地が観光スポットになる

メーサロン中心地からほど近い場所に「段将軍の墓」があり、人気のスポットとなっているようです。ちなみに私は訪問していないので、こちらのタイ政府観光庁の説明をご覧ください。地図も含め、けっこう詳しく記載されていますね。
 

泰北義民文史館

メーサロンのゲストハウス街からだと2kmくらい、中国食堂街からほど近い場所にある、中国国民党軍の残党がタイ北部をたどった足跡を展示した資料館です。車道からだと、まず大きな門が目立ちます。
 

門をくぐり少し歩くと突然現れる手のオブジェ・・・なんだこれは~!指があまりに長くヒョロヒョロと伸びているのも何か妙です。
 

展示資料の一部。国民党軍がたどった跡がマップに記されています。また、この地で亡くなった方の位牌には、段希文将軍のものもありました。
 

メーサロンリゾート

国民党司令部がおかれた地は、現在「メーサロンリゾート」として宿泊施設や庭園を備えた高原リゾートとなっています。場所は、メーサロンのゲストハウス街・セブンイレブンから山の上の方に向かって歩くと30分ほど。まぁ、歩いて行く人は少ないでしょうが・・・。

コテージや庭園、時代を感じさせますね。
 

こちらの祠、中国語とタイ語による説明がなされています。現在は両国友好のシンボルともなっているのですね。ただ、タマタマかもしれませんが、ツーリストはおろか地元の人もほとんど見かけず、かなり寂しい印象を受けました。これだけのコテージや公園が残っているのだから、(格安)リゾートとしてバックパッカーに訴求してもらいたいですね。


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