ラオス滞在期限が迫る中、一度ラオスを出国する必要があるため、急いでボーテンという街に向かいました。このボーテンは、中国・磨憨(モーハン)と接した国境の街、中国へすぐに歩いて渡れます。さて、ボーテンに着いて驚愕、「兵どもの夢の跡」とはこの街のことだと実感。

中国人によって開発された中国人のための街は、中国語が話されラーオ語(ラオス語)は通じず、人民元が流通しラオスの通貨キープは受け取ってもらえない、しかも中国人観光客を当てにしたカジノを中心に開発された街は、カジノ閉鎖によって中国人観光客が寄り付かない街となりました。そこはまさにゴーストタウン!
 

ルアンナムターから中国国境までほんの60km。これって遠いようで意外に近い?

ラオス滞在期限が迫る中、いったん出国した後に再度入国をする・・・これって、いわゆる「ビザラン」です。今回はラオス・ボーテンからいったん出国することにしました。
 

え、まさかのオーバーステイ・・・を避けるためにラオスをいったん出国します

ラオス入国後、ルアンナムターやムアンシンで山岳民族の方たちとの交流を楽しむうち、いつの間に2週間ほどが経過していました。ラオス査証(ビザ)を取得していなかったためラオス国内の滞在期限は15日間、この期限を迎える前にいったん出国しなければいけません。ルアンナムターからはタイか中国に行くのが距離・時間的に一番楽ですが、今回は中国側へ出国することにしました。
 

上記はルアンナムター・バスターミナルに掲示してあったバス時刻表。中国国境の街ボーテン(Borten)に向かうバスは、8:00~14:30まで1日5本、2時間ほどの行程のようです。意外に本数が多いな・・・というのは壮大な落とし穴!乗客の集まり状況によって、バスは運行したりしなかったり…。
 
朝7:30頃にバスターミナルで待機しましたが朝8:00の便はキャンセル、仕方がないと9:30の便を待ったがこれもキャンセル。滞在期限は明日までだし、できれば今日中にボーテンに着きたい!バスターミナル職員にパスポートの入国スタンプを見せながら、相談をしたが、職員は「昨日はバスが1本も出発しなかったなぁ」とぼやくばかり。これじゃバスは当てにならないと考えていたところ、1台のクルマ(ソンテウ:ラオスでは「ロット・ドイサーン」と呼ばれる)が交渉にのってきました。クルマ氏が言うには、他に客を集めることを条件に、25000キープでボーテンに向かってくれるとのこと。え、その価格って正規のバス料金と一緒じゃんということで交渉は成立、助かりました!
 

ボーテンへ向けクルマは出発進行!

クルマは私以外に3名の乗客を見つけ、10:30頃にはルアンナムターを出発しました。この辺りは中国資本がかなり入り込んでいるためか道が意外に良く、クルマはかなりの高速で飛ばします。途中で乗客を乗り降りさせながら走るが、沿道の集落は伝統的な藁や竹でふいた家屋で、あまり裕福そうには見えない。かなり素晴らしい道と比べギャップがあります。
 

ボーテンに到着。そこは・・・宴の後の掃きだめ、典型的な「鬼城」だった

「鬼城」とは、中国の都市開発や投資の失敗でできた廃墟の様な都市のこと。杭州市郊外の天都城や、内蒙古自治区のオルドス市がとくに有名です。ただ、このボーテンもまさに中国人が開発した鬼城、典型的なゴーストタウンでした。
 

クルマが着いた場所は・・・えっここって中国?

クルマは一見繁華した場所に着きました。しかし、それまで伝統的な集落群が並ぶ山間のエリアとは異質な光景に、大きな違和感を覚えました。昼時なのでとりあえずは昼食・・・とここで、ボーテンが他のラオスの街とは全く異なる、言葉は悪いですが中国の経済的植民エリアであることに気づかされました。

  • 食堂のメニューが「牛肉麺」など中国の一般食堂と同様のもので、しかも全て漢字で記載。
  • 食堂や街中で中国語(普通話)しか通じない。その方がかえって私にとっては好都合でした。
  • 一番驚いたのは支払い時。なんとラオスの通貨キープで受け取ってもらえなかった!キープは近くの商店(個人営業の両替商)で人民元か米ドルに両替してくれと言われた。

ここ、国境の街とは言えラオスですよ!まさに驚愕です。
 

街を歩くと・・・街路標識は全て漢字!アルファベットやラーオ語表記は小さいですねぇ。
 

カジノ開発の失敗→→ゴーストタウン化するボーテン

人がたむろしていたのはクルマが着いた場所だけ。そこを離れると人は全く見かけません。豪華な建物がそこら中に点在しているが、人は誰もおらずに手入れもされていません。昼なのに身の毛がよだつ光景です。
 

この街に関する予備知識を何も持たずにボーテンに来ましたが、この異様な光景に呆然としました。そこで、ボーテンについて調べてみると・・・。

2003年以降、中国企業が中心となりカジノを中心とした観光開発を行った。ホテル・ショッピングモール・投資目的のマンションが乱立しギャンブルの街として一時は発展をしたが、治安が急激に悪化。買売春や薬物乱用、殺人事件までもが横行したため、ラオス政府は2011年にカジノの閉鎖を決定した。その後、中国人観光客は犯罪組織と共に姿を消し、街はゴーストタウンと化した。

こんな背景を持つ街・・・知りませんでした!
 

夜のボーテン、ここってリアルに霊が出そう?

夕方暗くなってきたので、晩ご飯を食べに歩き出すと・・・リアル・ゴーストタウンです。このとき、実は宿の主人と一緒に出歩きました。
 
宿の主人が言うには、夜は絶対に1人で歩いてはいけないとのこと。不慣れな旅行者がたとえ犯罪に巻き込まれても、それが発覚することはないそうです。食堂で主人は何人かに挨拶をするのですが、宿に戻ってから「あそこにいた〇〇は××」といった嘘か真か判らない噂話を私に聞かせる。これ、けっこう怖い話なので具体的には書けません。ただ、そうしたリアルな恐怖の事例が、自分の間近にあること自体が信じられませんでした。


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