ソロ(スラカルタ)を十分に満喫した私たちは、次の目的地「ブロモ山」に向かうことにします。このブロモ山はジャワ島東部にあるカルデラ火山、現在でも活発な火山活動を行う場所としてソロ(スラカルタ)以東ではもっとも有名な観光スポットでしょう。実はこのブロモ山を訪問するのは1991年以来、およそ20年ぶり。今回は、この20数年前のブロモ山訪問記を中心に報告します。

 

1991年当時の僕は大学生、青春真っただ中だね

1991年当時の私は大学生、コンチネンタル・ミクロネシア航空の21日FIXチケットだけを購入し、21日間の滞在期限いっぱいの旅行を楽しみました。ただ初の海外旅行、しかも渡航先は欧米のような先進国ではなく、発展途上国の王道インドネシア!さすがの私も不安だったため、始めの1週間だけ、その頃仲が良く好奇心も旺盛な某氏(彼も初の海外旅行)に付き合ってもらいました。ちなみに某氏、滋賀県を代表する県立進学校(それって難読地名の高校ですよね)で学年トップをはっていた秀才、しかしその割にluggageを”ルグガゲ”と発音し皆から笑われる、お茶目な性格の持ち主でした。風の噂では彼は現在、某上場企業の執行役員とのこと。この20数年の時の流れを感じ入ります。
 

当時の僕は、ロビナビーチからプロボリンゴにバスで向かった

バリ島北部に位置する「ロビナ」。現在は大型リゾートホテルもぽつぽつ建つビーチリゾートとして著名なエリアですが、当時はゲストハウスが何軒かあるだけの鄙びたビーチでした。
 

この鄙びたビーチに来た理由は、美しい夕陽とイルカ見学。早朝、カタマランヨットに乗り込みイルカを見つけに繰り出すのです。私もこのヨットに乗り込みイルカを探しに行く・・・見つかりましたよ!ただ、一艘が見つけると、次から次にヨットが近づきイルカを囲んでしまう。なんかなぁ、イルカを見たという情緒はかき消される光景でしたね。
 
さて、このロビナで出会った白人女性から「ブロモへ行った?」と聞かれるが・・・よく知らない私に彼女は現像したての写真を見せてくれました。美しすぎるぜ!と大学生だった私は素直に感銘を受け、ブロモ行きを即断即決。宿をチェックアウトし、ジャワ島方面へ向かうバスに乗り込むのでした。
 

プロボリンゴでは外国人が珍しかったのか、私が歩く先々、数十名の群衆に囲まれた

確かプロボリンゴには夜に到着。英語が通じそうもないのは経験済み、『地球の歩き方』のインドネシア語ページを開きながら、「食堂」「ホテル」と道行く人に声をかけます。すると・・・ぞろぞろぞろぞろ人が集まってきて相談をしだす。どうも、どこの食堂へ連れて行くべきか相談をしている様子。英語を理解する人が1名現れ、どういう状況か私に説明をしてくれます。いざ食堂へ出発・・・すると人々の集団が私たちについてくる。うん、これ、後のインドであるあるな光景ですね。食堂に着く頃には50~60名はいたと思います。食堂内には私1人が入っていくが、他の人は入口で鈴なりに私のことを凝視していました。魚を唐揚げにしたような定食風の食事が運ばれてきた記憶があります。私が一度スプーンを下に落としてしまった時、入口の人々が一斉に笑い転げ、捧腹絶倒のあまり倒れこむ人もちらほら・・・まさに異様な光景でした。
 

プロボリンゴからブロモまでオジェッ(バイクタクシー)で向かう

ブロモまで行くと言ったら、「俺のバイクに乗って行け」という申し出がある。夜中のうちに出発するから準備をしておけとのこと。バイクに乗り込むまでは、これほど旅が順調に進むことに感謝の気持ちさえありましたが、バイクが進むたびにグングン標高が上がることを実感。途中から、もう寒くて寒くて、ここに来たことを後悔さえしました。
 

ブロモ山に到着すると・・・そこは月世界でした

日の出のブロモを見たかったのですが、それには間に合わず、途中で夜が明けてしまう。せっかくここまで来たのに日の出が見れないなど残念な気持ちが残りましたが、しかし、いざ到着すると朝のブロモ山カルデラは神々しい姿を眼前に映し出してくれました。こんな景色を見てしまうと、それまで寒さのあまり後悔までしていた気持ちが吹き飛んでしまいます。
 

現在は、カルデラエリアへはクルマで降りて行くことが一般的ですが、当時はクルマで降りることができなかったようです。馬を引く若者がスッと近づいてきました。彼はテンガル族の青年、この一帯の山の民です。
 
私は馬で一緒に下に行こうとの青年からの申し出を断り、カルデラエリアまで崖を自力で駆け下りて行きました。

月面クレーターに降り立ったアームストロング船長になったつもりでカルデラを探索します。
 

ほとんどの観光客は馬を借りて、テンガル族の方にたずなを引いてもらっていますね。我ながら、このケチぶりについニヤけてしまう。
 

馬が進む方向へ私も歩く。ブロモ山火口までは岩だらけの道を上って行くが、ここを馬が通り過ぎて行くのを私は恨めしく見つめていました。ちなみに、現在は山頂火口まで長い石段がつくられています。当時の火口写真、なぜか白黒でスキャンされてしまった・・・これもご愛敬ということで。


<スポンサーリンク>