1週間ほど滞在したトバ湖サモシール島、この辺境の地の滞在記と観光案内もいよいよクライマックスです。これまでトゥットゥッにある格安ゲストハウスで借りた自転車に乗って、トモッやシマニンドといった近場の街を巡ってきたが今回は少々遠出、トゥットゥッからは20km近く離れた街シマニンドへ向かいました。ただ私もオヤジ、自転車で往復40kmも運転するのはキツイ!この年齢(40歳代半ば)になって翌日は足腰が立たずフラフラの状態になるなんて想像もしたくない・・・バックパッカーにとって最も重要なのは健康とお金の自己管理なのです。
 
そこでベモという乗合ワゴン車に乗りシマニンドへ行きました。ベモ料金は当時片道でRp10000(約80円)かかりました。え、自転車を借りればタダで行けるのに、もったいない!という心の声は抹殺します。まあ80(×2)円で足腰の筋肉痛から解放されるのだから安いものです。と思っていたら、トゥットゥッの街なかにはベモが乗り入れていないため、ベモ通りまで宿から20分ほど歩く必要がある、これって意外と疲れるんだよね。しかも、乗り込んだベモはギュウギュウ詰めの人々・・・私は腰を浮かせた半立ちの状態でドアのところにしがみついていた。これだったら自転車を借りておけば良かったぜ!
 

シマニンドの街を歩く、土曜日には小さなボーナスが待っているよ

シマニンドまでは30分ほどはかかったと思う。走るベモから外を見る余裕がなかったため、ここまでの景色は全く判らないまま、急に「シマニンド」という声と運転手の降りろという合図。
 

土曜日のシマニンドは市場で賑わっていました

ベモから降ろされた場所は港へ続く1本道の角、まずはシマニンドの港を見に行きました。対岸には小さな島が浮かんでいますね。だから島人ど(シマニンどぅお~!)とつまらないオヤジダジャレが思い浮かんだはず。
 

港のたもとでは市が開かれていました。サモシール島ではほぼ毎日異なる場所で市が立ち土曜日はシマニンドの分担、土曜市はかなりの賑わいを見せていました。
 

小魚などの乾物はこの地で一番売られている物資、中には豚さんの顔も売られていました。豚肉の鮮度の良さを訴求するために、しめたばかりだとアピールしているのでしょうか、ただ少し可哀想な気がします。
 

シマニンドの街でも目立つのは墓地、伝統家屋の墓所が妙に住みやすそう!?

実はベモを降りて最初に目についたのは墓地でした。伝統家屋を模した墓に十字架が立てられています。墓に加え屋根も整えられた美しい状態で保存されている。一般の住民たちの墓所にしてはキレイすぎる、これはきっとシマニンド当地の王など支配者層の墓所だろうと勝手に推測し港の村人に話しかけましたが、質問を受け付けてくれる人が誰もいない。そもそもの私、片言のインドネシア語(買い物と料理注文、宿探しに限る言葉)はできるのですが、この墓所の由来について聞きだす語学力はありませんでした。残念!
 
と思い図書館で借りた最新の『地球の歩き方』をチェックすると、「村の入口手前には王たちの墓」という記述がある。私の当時の推測が正しかったのです。
 

この墓所で特筆すべきは、「体育座りをする石人の像」と「舟の模型」。体育座りの石像はアンバリータでも見ましたが、そこの石像は入口門の前にありました。ここでも墓所の外れにあり、もしかしたら墓守や番人を表しているのかもしれません。また、装飾がとても美しい舟の模型・・・さすが権力者のお墓!
 

シマニンド王家の住居跡は博物館として公開「フタ・ボロン博物館」

広場の両脇に伝統家屋が立ち並ぶ、その正面にピラミッド状の比較的新しい建造物があり、2人の人物が祀られている。ここがシマニンド王家の住居跡であり、祀られているのは王夫妻なのでしょう。最新の『地球の歩き方』によれは毎日9:00~17:00に公開、入場料はRp10000とのことですが、私が訪れたときは入場ブースなどはなく、自由に(お金を払うことなく)出入りができました。
 
この時は建物の中などは公開されておらず、すぐに別の場所へ移動。しばらくすると歌声が聞こえてきたため行ってみると、門前には係員が立っており中に入ることを拒否される。広場で踊りなどの公演が行われており、西洋人ご一行数名が観覧しているようです。これ、最新の『地球の歩き方』で記された「バタッ族舞踏の公演」(Rp50000)のようですね。おそらく西洋人グループはそれなりのお金を払っているのでしょう。
 
どうせ中に入って舞踏を見れないのなら別の場所へ散歩にでも行こうと思い、この場所を離れようとすると、係員はちょっと待てと言っている様子。いつの間に舞踏は終わり、西洋人ご一行がこちらに戻ってきました。それを見届けた後、係員はどうぞの仕草で、私を中庭に迎えてくれます。優しいね!料金は請求されませんでした。
 

中庭には公演者の方たちがまだ立っており、写真を撮らせてくれました。ここでは木の人形が用意され、博物館の名前が記されている。う~ん、今ふうに言えばインスタへのアップ用、映えのための記念物でしょうか。ここで、再び最新の『地球の歩き方』の記述を紹介します。「バタッ舞踏は牛の露払いから始まり、民族衣装を着けた男女が横一列に突っ立ったまま手だけを動かす。最後にシ・ガレガレという人形踊りで終わる」。そうしたら、この人形自体も踊り手なのでしょうか?疑問は募ります。
 
引用をさらに続けます。「この操り人形は、生命の樹・菩提樹で作られ、死者の魂を呼び寄せるという」。死者の魂を呼ぶ人形・・・今さらですが、お金を払い西洋人ご一行と見ておけば良かったなぁと数年後に後悔をする私。
 

中庭に立てられたトーテムポールもまたイイ味を出していますね。頭がやけにでかい不気味な人型が何人も上に積み重なっている。親亀の上に子亀が乗って・・・という歌を思い出しますが、これだけ重なったら一番下の人はどれだけの重量に耐えなければいけないのか、同情を禁じえません。
 

村人に呼び止められ、サイドカーに乗せられる

博物館を後にし、そろそろトゥットゥッに戻ろうかなと思っていたところ、「ヘイ」と声がかかる。どうやら私の行動を見ていたようで、多少の英語ができる彼らが話しをしたい様子。私はサイドカーに乗せられ、近くの茶屋に向かった。ここで長い長い”尋問”が続く上に、彼らは私を帰そうとはしない。しまいには誰が家から持ち出したか知らないが、大きな地図を広げだし、旅の行程を延々と聞く。あああ疲れてきたし、そろそろ宿に帰りたいのになぁ・・・。ミルクティとドーナツを奢ってくれた彼らは2時間ほど経ち、やっと私を解放してくれました。草の根の交流もケースバイケース、こちらの気力溢れるときに行いたいものです。


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