バリ島の火葬式ガベンは、観光客を含めた多くの方による衆人環視のもと行われる火葬式です。とサラリと書いてしまいましたが、火葬の式ですよ!つまり、ご遺体が火葬される様子を皆で見るということ・・・Σ(・□・;)
しかも、近年はいくつものご家族が合同で火葬式を行うため、派手な山車や葬列、楽団や舞踏まで繰り出す、まさにお祭り騒ぎの様相を呈しています。

前回記事では、1991年と2001年に行われた火葬式ガベンの様子を報告しましたが、今回はそれよりグッと現代に近づいた2014年の様子を見ていきます。2014年と言えば、巷ではスマートフォンへの移行がほぼ済んだ時期、ツイッターやフェイスブックも広く浸透しました。実はインドネシアなどの発展途上国では、固定電話やガラケーの時代をすっ飛ばし一気にスマートフォンが市場を席捲、都市部でのフェイスブック利用率はかえって日本より高いという現象が生じていました。こうした状況で”映え”意識は日本よりも早い段階で醸成していたのです。
 
1991年から2001年の10年間ですら火葬式は大規模化し、お祭り騒ぎの一大イベントと化したことは、すでに報告しましたが、2014年はこの傾向がさらに拡大、それはそれは見ごたえのある祭礼儀式となりました。このガベンはバリ島観光においてスケジュールが合えば何よりも最優先すべき大イベントです。
 

火葬式ガベンなどの祭礼情報はどのようにして入手するか

ホテルやゲストハウスによってはオダラン(祭礼)情報を掲示することもあり、お葬式ツアーを募っていることもあります。ただ、できれば日本にいるうちから情報を入手したいですよね。前にも紹介しましたが、情報センターAPAではオダラン(祭礼)情報を多数持っており現地ツアーを開催、またホームページではオダラン情報の日程が公開されています。火葬儀礼についても、ウブド近隣で行われるものは情報を押えており、ツアーを随時開催。ガイドのワヤンさんは日本語でのやり取りができるため、事前にE-mailなどでコンタクトをとることをおススメします。
 

情報センターAPAに遊びに行くと、いきなり葬祭情報をゲット

ウブドでの定宿は情報センターAPAから歩いて5分もかからない場所のため、ウブド到着後に事前のアポなくAPAのワヤンさんを訪ねる。すると、ワヤンさん、いきなりステキな情報を教えてくれるではないですか。「9月7日に合同葬祭があるのだけれど、ネットに情報を掲載していなかったから、参加希望者が誰もいないんだよね・・・」って、これは私を誘っているのでしょう!「え、じゃあ僕が行きたいけれど、1名でもツアーを組んでくれる?」と聞いたところ、ワヤンさんは満面の笑み。私1名のプライベートツアーが成立です。場所はブドゥール村の近郊、ウブドからはクルマで20分ほど離れた場所。ツアー代金は20ドル、まあ近隣の観光案内もしてもらえるし安いものだね。
 

火葬式ガベン見学ツアーに出発です

9月7日朝、ワヤンさんはバイクで宿に乗りつける。うん、このツアー参加者は僕一人だもんね(クルマの方が良かったのになぁ…)、バイク2ケツで出発進行です。
 

まだ時間があるためか、ウブド郊外の田園風景が美しい場所でストップ、カフェが併設された場所らしい。よかったらここでお茶でも飲みますかって言われるが、オッサン2人でデート気分に浸るのはなんとも気味が悪い!せっかくの”映え”スポットで気を遣ってくれるのは嬉しいけれど・・・まあ、お姉さんなら大喜びだよね。
 

近隣の村々では、どこも葬列の準備中です

しばらくバイクで先に進むと出てますね、葬列の山車(棺)やメル(塔)を準備しています。葬祭会場までは、ここからはまだクルマで10分ほど離れた場所らしいのですが、もうしばらくしたら出発する様子。皆さんで歩いて山車を担ぎながら会場に向かうらしい。
 

出発まで皆さん一休み。我々に気づいた女の子がお茶を出してくれました。ステキな心遣いに身も心もホッコリ!しかし、この葬祭のときは道が塞がれてしまい、村の中にはクルマが入れない。バイクで来てまさに正解。
 

出発前、最後のチェック。低く垂れさがった電線に山車がひっかかってしまわないか心配になります(実は、後にこの危惧が現実のものに)
 

楽団の方々も音合わせのチェックですね。
 

火葬会場に到着。これからどんどん山車(棺)が運ばれてきます

葬祭会場に到着しましたが、まだ時間が早かったため、ほとんど山車(棺)が到着していません。ただ、すでに安置されていた魚の棺は私も見たことがなくワヤンさんに尋ねたところ、どうもシュードラ(ヒンドゥー教の階層の1つ)の方ではないかとの回答。バリ島でカーストを知覚する機会はほとんどなかったが(たまに、バリ人のナンパオヤジが「俺はバラモンだ」と言って自慢するらしい)、こうした葬祭では棺の形や場所とりなどで階層を意識せざるを得ないのですね。
 

と、そうこうしている内に、いつの間に山車の行列が近づいてきた!これからどんどん山車が入場してくるのですが、この外では山車同士が入場の順番を争ってバトルが繰り広げられているらしい。私たちもそれを見に行きます。
 

え、いつの間に外の公道はこんな状態になっていたの!スゴイ人混みです

火葬が行われる広場から、先ほどバイクで来た公道にでると・・・どこからこれほどの人が湧いて出てきたんだ~!とにかくスゴイ人混みに驚く。
 

さて、ここで先ほどの疑問。あれだけ高さをもつ山車が電線の下を通れない場合どうするか・・・そう、この塔は取り外しができるのでした。
 

バトルというか、ここでは各々がそれぞれ見せ場を作ります。人が乗る山車を高々と持ち上げ大きく揺らす、すると周りから拍手喝さいを受ける。また、急カーブを猛スピードで突進する葬列も現れる。岸和田名物だんじりの様相ですね。
 

こちらの山車は、とにかく何回転もグルグルとまわる。三半規管が弱い者(例えば私)が、これに乗るのは絶対に無理です!
 

葬列は続々と火葬会場に到着。セッティングに大忙しです

再び火葬会場に戻ると、続々と葬列が到着。棺をおろしセッティングする作業に移ります。
 

セッティングの作業中に我々が邪魔になってしまったら、ご遺族の方々に申し訳が立ちません。時刻はちょうど昼時、ランチをとりに近くの食堂へ行きました。このサテをメインとした食事は、ワヤンさんに奢ってもらう。
 
 

今回の火葬式ではスマホを片手に撮影をする若い方々が目立ちます。きっとSNSに投稿をするのでしょうか。ただこうして若い方々に注目されることで、葬祭がより華やかで美しいものとなるなら、それは素晴らしいスパイラルだと思います。
 

フィナーレは突然にやってきた

そろそろ火葬式が始まるから見に行こうとワヤンさんから言われ、葬祭会場に向かう。

山車からメル(塔)を取り外す作業もおおかた終わったようで、参列者たちはのんびりとその時を待っています。
 
突然、拡声器による大きなアナウンスが流れる。いよいよ火葬式が始まるときが来たのでしょうか。すると・・・

バーンという爆発音が辺り一面に鳴り響くと、そこら中の山車(棺)が大きく燃えだしている。これは1991年のような草木に火を移したり、2001年のようなガスバーナーで火をつけたものではありません。おそらく油をまいた上で高圧力のバーナーを用いて爆発させたのでしょうか、とにかく火力が強く煙もスゴイ。
 

こうなると、もう見学といった悠長なことは言ってられません。とにかくモウモウと立ち込める煙から逃れたい一心で、足早に会場を後にする。会場の出口近くにあった一番大きな山車(棺)はあまりにも強い火力に晒され、あっという間に燃え尽きてしまったのでした。


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