ラオスを代表する観光都市ルアンパバーン。現在は世界的観光地としてツーリストが押し寄せ、托鉢の時間には早朝であるにも関わらずカメラのフラッシュが一斉に光る光景……素朴な古都といったイメージからは想像もつかない姿に驚かされてしまう。私がルアンパバーンを訪れたのは2003年が初めて。その後2012年、2015年と訪問するにつれ、ツーリストは激増、街には気取ったカフェやオシャレ宿泊施設が増えスノッブな外国人が闊歩する街へと変貌を遂げていきます。ちなみに上の写真は2015年に撮影した早朝の托鉢光景ですが、お布施をしている方は大半が団体で来た外国人観光客!
 
本来、私はこうしたスノッブな街に滞在するのは性に合わず、幾度と訪問するラオスでも特に避けてきた街ですが、お祭り大好きな私にとってラオス正月に当たる「ピーマイラオ」はぜひとも見物してみたかったもの。しかも、メコンエリアの正月と言えば、例えばタイのソンクラーン・・・日本で例えれば渋谷のハロウィーンも真っ青の無礼講が許されるお祭り。過去にチェンマイでソンクラーンの犠牲になった私、ずぶぬれになったデジカメが壊れてしまった経験がよみがえります。う、トラウマ~!
 
ソンクラーン時期をタイで過ごすことに恐怖を覚えた私は、ラオスに移動することを決定。まぁルアンパバーンで迎えるピーマイラオなら「水かけ」の儀式もタイよりはマシだろうと考えていたら、それは甘かった!

上の写真はルアンパバーンで体験した2015年のピマーイラオで繰り広げられた水かけの光景、私は悲惨な結果に。
 
とまあ、私の嫌い(!)な街ルアンパバーンですが、2003年に訪れたときに見た光景はその後の2010年代とは全く異なる別世界。あまりにも素朴な街の風景に唖然としながらも、メコン沿いの小汚いカフェで一日中メコンを見つめるだけで妙に充実した気分に浸れたことを今でも覚えています。今回の旅日記は2003年と少々古い時代にタイムスリップ、バックパッカーにとって「良き時代」だったルアンパバーンを振り返りたいと思います。
 

当時は社会人の私、バンコクからBangkok Airwaysで乗り込む

2003年と言えば私は社会人としてバリバリ働いていた頃、初のラオス旅行は4月26日から5月5日までとゴールデンウィーク真っ最中の時期とまぁなるべくなら避けたい時期。しかし、ルアンパバーンに降り立った観光客はごく僅かでした。

搭乗した飛行機はプロペラ機、短いタラップを降りた飛行場は田舎そのもの。
 

ちなみに、ルアンパバーン上空の景色。あのメインストリートの真上を飛びますが、近隣には山と田畑しか見えない。今、これと同じアングルで撮影したらどれほど変わっているか見ものですね。
 

街歩きの開始。目抜き通りに観光客の姿は全くなく、素朴な村(!)人の姿に心打たれる

とりあえず街歩きの開始、ルアンパバーンを代表する寺院、ワットシェントンや旧王宮(ルアンパバーン博物館)をまずは見ておきます。

ワットシェントンの広い境内には人の気配がほとんどなく、たまにラオスの伝統スカート「シン」を巻いた若い女性を見かけるだけ。一通り寺院建物の写真を撮り終え休んでいると、子供たちの僧侶一行から声をかけられる。彼らは独力で英語を学んでいるとのこと、日本の国や日本人の生活について言葉が通じる限り根掘り葉掘り尋ねてくるのですが、そもそも日本の首都「東京」を知らない子供たちが多かったことに衝撃を受ける。ただ、日本人=お金持ちというイメージは強く持っていましたね。
 
旧王宮に入場するが外国人ツーリストは全くおらず、確か博物館には無料で入れてもらった記憶がある。では、今や外国人ツーリストが大挙押し寄せる目抜き通りサッカリン通り~シーサワンウォン通りを歩いてみます。
 

見事に人がいない!この頃の若い女性は大半(当然に学生を含む)が「シン」を身につけており情緒がありました。
 

一本裏道に入ればどうですか、この素朴な光景!サッカリン通りからメコンに抜ける裏道は、今やオシャレエカフェが立ち並び、よれよれのタンクトップを着こんだ西洋人や、どこか勘違いした格好つけしいの中国人女性が闊歩する場所。それが当時はまだ未舗装でして…。

しかも家の軒先には鶏が飼われ、ガサガサ道を歩く奴も多数見かける。う~ん、素朴!
 

ここは、現在ツーリストインフォメーションがあるルアンパバーンで一番繁華した交差点、シーサワンウォン通りがチャオファーグム通りと名前を変える場所で撮影したもの。当時もここがもっとも繁華しており、昼から物売りが風呂敷を広げ雑貨や布を売っていました。ちなみに民族衣装を着こむお年寄り女性はモン族の方でしょう。いかにもラオスのカワイらしい女の子は、一所懸命に布を売りこもうと説明しますが、私に買う気がないことを悟るとその後は拙い英語で世間話。おそらくは、「どこから来たの→どこに泊まっているの→これからどこに行くの」といった旅行者の通過儀礼ともいえる会話を交わしたのでしょう。
 

2003年のナイトマーケット、どこからこれだけの人が湧いて出てきたの?

ルアンパバーン夜の名物と言えば昔も今もナイトマーケット!目抜き通り一帯に灯りをともした屋台が立ち並ぶ光景はおそらく当時も同じ。ただ、現在と違う点と言えば、客層は地元の人が中心。今やツーリストインフォメーション隣の屋台裏路地に連なる得体の知れない食べ放題食堂、当時はまだなかったはずです。
 

メコンの夕陽を肴に一杯、それがルアンパバーンの流儀

では、数少ない外国人ツーリストが夕刻~夜に過ごす場所はどこかと言えば、メコン川沿いの小汚いカフェと相場は決まっています。

カフェから眺める夕陽、イイ感じでしょ。ところが、カフェで夕陽を見るだけが楽しいことではない。川べりに降りてみると…

珍客外国人の訪問に沐浴中の子供たちは興奮状態!
 

少し離れた場所では若い女性たちが沐浴がてら洗濯をしている。すみません私、ノゾキが目的のエロオヤジではないです。というか、ここには下心を持った外国人が立ち寄ることはないのでしょう。なんの警戒心も持たれず、若い女性がとびっきりの笑顔を私に振りまいてくれました。う~ここは天国じゃ!
 

夜のとばりが落ちてきました。外国人旅行者が集まるレストランで一人夕食&ビアラオを飲んでいると、地元ラオスのいかにも小金持ちそうな若者が寄ってくる。ここは珍しいラオス産のワインを開けて乾杯(食事代は彼らが奢ってくれた!)、酔いがまわった頃そのうちの一人が「ディスコ(懐かしい響き!)へ行こう」と言いだす。普段ならここで警戒すべきですが、素朴なラオスの街でまさか犯罪に巻き込まれることはナイよな、しかも、若者メンバーの身分を一応は確かめていたので、すっかり安心しきっていた私。そもそも、この田舎町にあるディスコ(!)というものに興味がありました。
 
昔むかし(1992年)、昆明からシーサンパンナに向かうバスでは途中で1泊するハメに。夜、降り立った雲南省の田舎街で一人食事をしていると、それを見かねたのでしょうか、そばにいた若者から「踊りに行こう」と誘われたことがあった。踊りに行った場所は・・・地元の社交ダンス場。フォークダンスのような踊りからチークダンスまで老若男女が出入りする場に、私も踊らされた苦い経験。ただ、その時にいい加減に踊った私の振り付けを、会場にいた皆さんが真似して踊り出したのには笑ってしまった。
 
そんな記憶を思い出しながら向かったディスコは写真の通り、さほど危険な臭いはしなかった。若者グループは私をダシに女の子を何人かナンパするが、当然に話しが全く通じず、はっきり言ってツマラナイ。しかも女の子を捕まえた後は、私のことを全く無視して若い者同士で話し込む。15~20分ほどは耐えて付き合いましたが、さすがにいたたまれなくなった私、ディスコの玄関に停まっていたトゥクトゥクに乗りこみホテルへ一人戻るのでした。


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