社畜あるある、社畜人生なんか辞めて旅をしようよ
正月休みが終わると、再びあの満員電車に揺られ、クライアントからは嫌味を言われ、上司や部下からも冷たい視線を向けられる・・・こんな人生、許せない!あなたが、例えすばらしい学歴を誇っていても、特殊な技能を備えていても、「社畜」の辛い人生から抜け出せるサラリーマンは、ほんの一握り。多くの「社畜」は重い重いプレッシャーに押し潰されそうになりながら、とにかくストレスが貯まるは貯まる、それがお金だったらどれだけリッチマンになれたのに・・・なんて、思っていませんか。
なんで、こんなことを書くのかっていうと、私のサラリーマン時代、正月休み明けが一番辛かったなってシミジミと思い出してしまったからです。私のプロフィールページで記しましたが、某広告代理店系企業でコンサルをしていましたが労働環境はもう尋常じゃなかった。とりあえず年末年始はまとまった休みが取れたので、バカみたいに料金が高騰した航空券を求めたり、1年前からマイレージで無料チケットの予約をして旅行をしましたね。うん、懐かしいよ~。

うん、このパターン嫌でしたよ。部下に資料作成を任せて年末に出来をチェックしたら、もう・・・レベルが低くて絶句!ただ、こんな時やり直しを命じようとしても、事前に部下のスケジュール(新婚旅行を兼ねてのモルディブ旅行!)を聞かされており、これ以上引き留めるのは無理。そもそも、なぜ、そこに至るまでのチェックがされていなかったのかと、私の管理能力が疑われてしまうため、泣く泣く正月休みを潰して出勤することに。
ちなみに、クライアントの方も正月休みに入る直前に、平気で追加の依頼事項や仕様の変更を言ってくることが多いんですよね。
年末年始は伴侶と2人で海外旅行がルーティーンですが、全てキャンセ~~ル!キャンセル料ってけっこう高くつくんですよ。しかも伴侶からの嫌味に耐えなければいけません。しか~も、新年の出勤ってけっこう恥ずかしいんですよ、というか査定に響いてくる・・・ということは、出勤扱いにはしたくないのです=残業代がつかない。
でもデスクの周りを見ると、正月出勤してくる連中がけっこういるんですよ。これぞ、The Shachiku!仲間がいると判るとなぜかハイテンションになるんですよね。近くの奴は、紋付き袴で正月出勤、当然タイムカードは通しません。皆、黙々と仕事をしながら独り言で愚痴だらけ、それに隣の席からツッコミをいれます。そのうち、ため息をつきながらも、これが「俺たち(一応クリエイティブのつもり)の正月だぜ」と妙な使命感(?)に燃えながら、あちこちで一人盛り上がっています。
最後は徹夜でやっと仕上げた作業に、もうクタクタ。ハッキリ言って、家に帰って寝たいのに、トレーナーからスーツに着替えて新年の訓示を聞く。クライアントに挨拶がてら訪問すると、こちらの寝ぼけた顔にさっそくツッコミが入ります。こんな新年、最悪だ~!
広告マンを名乗る連中、クライアントには絶対服従なのです。昨今はコンプライアンスが叫ばれ、そんなことはないと思いますが、私が見聞きしたお話。
- クリスマスや大晦日、正月に必ず呼び出され、即席タクシーとして使われる:これは相当によくある話です。クライアントの酔っぱらった若造から呼び出され、車の運転手を務めなければいけません。酔っぱらいの若造は車の中でイチャツイテいることも。なお、こうした広告マンは、年末年始(というか休日)にお酒を飲むことは許されません。
- もてないクライアントから、とりあえずのパートナーに仕立て上げられてしまう。そして、「なんで、あなた”なんかと”一緒にいなければいけないんだ」と、かえって逆切れされる:年末年始、彼女や奥様などのパートナーがいないクライアント野郎は、広告ウーマンを呼びつけて、一応かっこつけるのがいるそうです。そうした野郎はけち臭く、絶対にお金を出すことはないらしい。しかも、自分から呼びつけたくせに、(結局空しくなるのか)逆切れされることが多いと聞きます。
実は、私の社畜時代のもっとも大変だった時期を思い出した。クライアントは某国のメーカーで、本部は米国。ちなみに、私は某国に留学経験があり、そのため、クライアントの業界には全く詳しくなかったが担当者にされてしまった。
- 午前:社内会議&資料作成(日本語)
- 午後:クライアントに赴き打合せ&会議⇒社内に戻り資料作成(日英、某国語)
- 夕方~夜:某国とのテレビ会議⇒資料作成(日英)
- 深夜~朝:米国本部とのテレビ会議⇒資料作成(日英)
他の案件もこなさなければならず、はっきり言って、いつ寝るんでしょうか?朝、ふとした時に何人もの幻(浮かばれない某業界人の霊?)が通り過ぎるのを見たとき、さすがに、この会社は無理だと思いました。
書いていくうちに、昔のことが思い出され・・・よく耐えてきたなと思います。自分、えらいぜ!でも、よくよく考えてみると、何が偉いか全く判りませんね。あなたのその労働、意味ある労働ですか?他の方では替えがききませんか?そもそも、その労働によって、社会に何らかの貢献ができますか?
例えば、日本から中国に新規イタリア料理チェーン店を出すことを想定し、そのコンサル業務を請け負ったとします。企業人なら、懸命にクライアントの満足がいくようにハイレベルな提案を行っていくのでしょう。ところで、この仕事、何か意味があります?中国にチェーン展開すること、その企業にとっては社運を賭けた事業かもしれませんが、はっきり言って、どうでもいいことですよね。今さら、中国に大手チェーン店ができる・・・日本に新規出店のサードウェーブコーヒー店と一緒で、まぁ、あれば選択肢が増えるだけ、なくてもいいんじゃない。そして、大概の労働は、そんなもの、あなたのような人や物がなくても変化はないし、それがなくても特に困りません。
私はリーマンショックを契機に会社を辞め、東日本大震災を目の当たりにし仕事自体からリタイヤしました。完全にストレスフリーな生活で、我ながらしてやったりです。
私たちは、幸福であることを目的に生きているはず。その手段として労働があるはずですが、この「労働をする」ことが目的になってしまうことは本末転倒です!その意味で「就活」という言葉、おかしいですよね。
私の場合、旅が好きで、とにかく旅をしながら生活をすることで人生を楽しんでいます。皆さんも社畜からの脱皮はいかがでしょうか。
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