私がインド世界や中国、東南アジアをぶらつき感じることは、彼らのバイタリティや生への執着の強さです。何が何でも生き抜いていこうと思う彼らのたくましさと、それに備わる優しさに心を打たれます。彼らが持つ夢や希望に満ち溢れた目を見ると、それこそが幸福の原点であると感じてしまう。今回の記事では、私が出会った方々のうち今でも忘れられない「豊かな心の持ち主」を1人紹介します。

 

バングラディシュ リキシャを漕ぐ若者の話し

2005年、私はバングラディシュのプティアという村を訪問。その時は、地元の教師が声をかけてくれて、私のそばで通訳とガイドを手伝ってくれました(彼からお金を請求されることはなかった)。夕暮れ時、バスに乗れる場所へ戻ろうと、1台のリキシャを捕まえたところから、この話はスタートします。
 
リキシャを漕ぐ若者は外国人をあまり見たことがないらしく、私に対して興味津々。先生を介して、私にいろいろ質問を投げかけます。まぁ、南アジアではよくありがちな光景ですよね、「年収は、結婚は、子供は・・・」、いつも投げかけられる質問で、こちらのプライベートにずかずかと入り込んでくる態度に辟易としてしまいます。
 
そのうち、リキシャの彼は、1軒のチャイ屋に入ろうと言います。
 

彼は、チャイを一杯奢ってくれながら言った「こんな時間を過ごせることが一番の幸せなんだ」

ここでも、彼はたわいもない話をします。話した内容はほとんど覚えていません。そもそも、彼の話すことは全て、先生の通訳を通して伝わってくるので、実際に何を言っているのか、私はほとんど気にも留めていませんでした。
 
そんな時、リキシャの彼は、何かニコニコしながら私の手を取り語ってくるのでした。先生は、「こんな時間を過ごせて、俺は一番の幸せ者だ」と言っていると伝えてくれました。
 
正直に言えば、私はバスの時刻が気になりだし苦痛に感じていた頃、彼がそのように感じていたことに少し恥ずかしくなりました。彼がせっかく「一番の幸せ者」と感じるこの瞬間を壊してしまうことは、さすがに気が引けてしまい、彼との話にさらに付き合うことにしました。
 

彼は夢を語った「このリキシャを漕いでアメリカまで行くことが夢なんだ」

そのうち、彼は自分の夢について語りだしたが、その言葉を聞いて、私は愕然としました。彼の夢は「リキシャを漕いでアメリカまで行くこと」。アメリカまでどれくらい遠いか彼に聞いたが「よく判らない」、途中に海があることは知っているか聞いたが「よく判らない」、つまりひたすら自転車を漕げばアメリカに辿り着けると信じているのでしょう。
 
アメリカという場所に行けば、(何か知らないが)とても楽しくお金も儲かる場所という認識らしい。彼に「アメリカにはリキシャでは行けないのだよ」と伝えようと思いましたが止めました。彼の夢を壊してしまうことは、あまりにも野暮で残酷だと思ったからです。
 

彼は家に泊まりに来るよう誘ってくれたが、私はその申し出を断った

すでに夜になってしまい、バスで戻ることを諦めかけたとき、リキシャの彼は「自分の家に泊まりに来い」と言ってくれました。しかし、通訳を請け負ってくれた先生は「No」と言い、彼には伝わらぬよう英語で私に「彼の家には行かない方が良い」と伝えてくる。
 
先生は行ってはいけない理由をいちいち説明してくれますが、何かとってつけたような理由のように聞こえる、ただ先生の言葉を否定することは私にはできず、彼の家に行くことは諦めました。
 
私は、リキシャを漕ぐ彼にひとしきりの礼を言い別れを告げた後、別のリキシャを捕まえ、先生の家で一晩お世話になることにしました。


<スポンサーリンク>