私の略歴を紹介します

旅するオヤジ:東京出身、現在アラフィフのオヤジです。

1970~80年代

 
幼少の頃から”電車好き”、小学生低学年の頃から「時刻表」を愛読書にしていました。好きな作家は宮脇俊三や種村直樹という、今風に言えば、べタな”乗り鉄”ですね。
ただ、両親が東京出身のため田舎がなく、夏休みに帰省する同級生たちを羨ましく思っていました。

小学4年の夏休みに初めての一人旅、母の友人宅がある高知へと向かいました。その後、小学6年までの3年間、夏休みは「四国ワイド周遊券」で四国中を駆け回ることに。ある年は寝台特急「瀬戸」のB寝台、別の年では急行「銀河51号」の指定席で向かったのは、今でもよく覚えています。予土線に乗車した際は、地元の方から「アユの塩焼き」をご馳走になったり、夏休み自由研究のネタ探しに香川県庁を訪問した際は、当時の県知事自ら出迎えてくれ、県議会議長が丸亀城を案内してくださるなど・・・まあ小学生が一人でノコノコお邪魔したことが、よほど珍しかったのでしょうか。

中学2年の夏休みは「北海道ワイド周遊券」を利用。種村直樹さんの著書「鉄道旅行術」で、ワイド周遊券の冬季割引(2割引)を夏休みに使う方法が記されており、それを実践。東京駅のみどりの窓口で押し問答の末、冬季割引が適用された周遊券を夏休みに使用しました。白糠線や万字線、美幸線、湧網線など、後にすぐ廃止された路線に乗ることができたのは貴重な経験。相生線の終着駅、北見相生に、夜、降り立った時は、数少ない一緒に降りた方から「食べる場所がないだろう」と言われ1泊させていただき、また、札沼線の石狩月形ではご馳走の上にカンパをいただいたり、稚内では目の見えないご夫婦に誘われ泊めていただいたことも。いろいろな方のご厚意に甘えながら旅をしました。

高校入学後は、青春18きっぷなどを使い、九州から北海道まで国内旅行三昧の日々。また、国鉄再建法の施行により廃止されゆくローカル線へ積極的に乗りに向かいました。高校2年時には、同級生たちと3人で、北海道ヒッチハイク旅行を決行。このバイタリティ、今思うとすごいですね。

 

1990年代

 
いよいよ、大学進学の際、東京を離れることを決意!両親に相談をしたところ、”父の目にかなう大学(上位国立大学)なら”という条件で仕送りアリの進学を許されるが、それまで、旅三昧で勉強など全くしてこなかったので、現役時は撃沈。一浪後、本州内の某国立大学(旧帝)に合格し、東京から離れることになりました。

大学2年時に、国内旅行からは卒業し、海外旅行に本格デビュー。大学卒業後は、某国へ2年間の公費留学(留学中、”生涯の伴侶”と知り合う)、その後、東京に戻り大学院に進学しました。

修士取得後、博士後期課程に進んだが博論を書けそうにないことを悟り1年で辞めてしまい、某広告代理店系列のマーケットコンサルティング会社に就職。主に、中国や東南アジア向けのブランディング戦略の策定を得意としました。

 

2000年代

 
21世紀に入ってすぐに起きた911アメリカ同時多発テロの影響で、航空業界に大変な激震が走る。そして、今では信じられないような料金でメジャーな航空会社の格安チケットが出回りました(例えば、アメリカ周遊29800円!)。この機会を逃すなとばかり、土日のどちらか一日しか休めないような時期でも海外に行きまくった結果、(出張ではまずは使わない)ノースウェスト航空やユナイテッド航空、コンチネンタル航空のマイレージ最上級会員になりました(2010年頃まで)。

2000年代半ばに転職。ただ、この転職は失敗。仕事量が激増し、残業時間は毎月150時間以上、一時、旅どころではなくなりました。う~ん、ただ、どんな状況でも旅はやめたくないの一心で、なんとか時間は見つけましたね。この会社では3年ほど働いた後に退職。その理由は、リーマンショックが発生し世間が大混乱をきたしている中、上部からチャンスとばかりに新規大型プロジェクトの立ち上げを複数せかされてしまい、さすがにこれ以上の労働は無理だと感じたからです。退職後は、フリーランスの立場でクライアント企業にマーケティング提案を行いました。

 

2010年代

 

もともと40歳代になったら仕事を一切辞めてしまい、旅に出ようとは考えていたが・・・それを実際に行わざるを得ない状況となる。2011年に発生した311大震災は私の生活にも大きな影響を及ぼしました。仕事では、アジアにおける海外マーケティングを得意としたが、原発事故により国内メーカーが海外マーケットから一時締め出された結果、そうした仕事の依頼が皆無に。私の場合、とくに食品メーカーと主にお付き合いしてきたことが、まずかったですね。また、「必要としていないものをいかに売るか/必要だと思わせるか」を核としたマーケティング的発想にもほとほと愛想が尽き、仕事から一切身を引くという以前からの思いを決断しました。

2012年6月から、海外で生活をするように旅をすることをテーマに日本を離れました。当ブログでは旅行記として順次、旅行の記録を公開していきます。

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実は、2017年9月終わりにゲストハウスで盗難に遭い、PC、カメラ、スマホ、パスポートなどなどを失い、2017年10月、日本に戻ることに。盗難で一番痛いのは旅の記録をすべて失ってしまう点です。2015年5月に日本に一時帰国、PCやスマホを一新し再び旅に出たのですが、そこからのデータがすべてパー!まぁ、主に東南アジアにいましたが、インド・ネパール・中国・南米なども旅した記録が全てパー!!一時、立ち直れませんでした。

この盗難事件について、そのうち傷が癒えたら公開したいと思いますが、まぁ随分先のことになると思います。ただ、場所と想定される手口だけ書いておきます。

盗難場所はマレーシア・クアラルンプールの某ゲストハウス。すぐ近くで夕食をとっている僅かの間、宿泊部屋に置いてあった荷物が盗まれました。部屋は個室で、鍵をかけていたことで油断をしてしまいました。財布は持って外に出たため、現金とカード類が無事だったのは、不幸中の幸いです。おそらく、犯人はゲストハウスの従業員か、あるいは以前に宿泊したことがある人物(合鍵を作製?)か。皆さん、ぜひともお気を付けください。

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2018年の正月を日本(横浜)で迎えた後、再度、海外に出発しようと準備をしていた矢先、義母(伴侶の母)が体調を崩し車椅子の生活となりました。義母はすでに90歳代後半で、私や伴侶がそばにいないと不安な状況。しばらく海外旅行はお休みとなるが、久しぶりの東京滞在を旅行気分で満喫しようと思います。また、なんとか義母を巻き込み近場を旅しようかなと画策中ですが、実現するかどうかは・・・?


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