インドネシア・ジャワ島中部の都市スラカルタは、18世紀以降マタラム王国の王都として栄華を誇った、現在でも旧称「ソロ」と呼ばれることが多い街。ところが、ジャワ文化を語る際に外せない街として真っ先に上がるのはジョグジャカルタ(ジョグジャ)で、スラカルタの知名度はさほど高いとは思えません。今回の旅行でも実はジョグジャに何泊か滞在し、ボロブドゥールやプランバナンといった世界文化遺産指定の遺跡群を約20年ぶりに見学をしました。その時の写真を掲載しますね。

実は私、この旅行でジョグジャカルタの街をすっかり気に入ってしまい、その後も毎年のように訪問、なんならジョグジャに住んでしまっても良いと思っているほどなのです。え、スラカルタ(ソロ)の話しはどうなったの・・・ということで、スラカルタに話しを戻します。
 
歴史的には、1745年以降スラカルタ(ソロ)がマタラム朝の王都として繁栄を極め、ガムランやバティック(ジャワ更紗)といった数々の王宮文化が花開く。しかし、1749年マタラム王朝の王位継承争いが勃発し、スラカルタとジョグジャカルタに王家が分裂する結果となりました。その後現在に至るまで、この2つの街がジャワ島の王宮都市として発展をします。
 
しかし、その後の歴史展開を観光地として見た場合、ジョグジャカルタは世界的な観光都市として発展したのに対し、スラカルタ(ソロ)ははっきり言って地味ですよね。と、ちょっと待った!そこがスラカルタの良い点なのです。観光客で溢れかえり、入場料も(現地物価と比べ)かなり高額なジョグジャカルタよりもスラカルタの方が落ち着いていてGOOD!と思う人、かなり多いのでは。
 

スラカルタ(ソロ)を代表する2つの王宮(クラトン)

スラカルタの街には2つの王宮(クラトン)が現存します。さて、なぜ1つの街に2つの王宮があるのかと言うと、先に述べたマタラム王朝の歴史が関係してくるのです。1745年、スラカルタに王国が成立した際の正統な王家はススフナン家で、カスナナン王宮を建立、現在もススフナン王家の末裔により管理されています。しかし、王位継承問題のいざこざはスラカルタの王権争いにも影響しススフナン王家も分裂、ススフナン本家と分かれたマンクヌゴロ王家によってマンクヌガラン王宮が建立されました。う~ん、複雑!
 
ちなみに、スラカルタの街では自転車による3輪タクシー「ベチャ」が市内を縦横無尽に走っています。ここはベチャを半日レンタルし、ソロカルタ市内を隅々まで見ていきましょう。

 

マンクヌガラン王宮では日本語を話せる女性がガイドをしてくれます

私たちがベチャで最初に向かったっ先はマンクヌガラン王宮でした。こちらの王宮、見学をする際にガイドをつけることを要求されますが、日本語を話せる方もおり、王宮に関する詳細な情報を教えていただきました。

まず、目に飛び込んでくるのはプンドポと呼ばれる大理石の大広間、こちらの広間に靴を脱いで上がりツアーはスタートします。
 

肖像写真に美しく手入れされた庭園など、王家の末裔の方が自ら長年にわたり管理されてきたことを思うと頭がさがりますね。
 

王宮の貴賓室。こちらのダイニングテーブルに数多のゲストをお迎えしもてなしてきたのですね。廊下もキレイに整備されています。
 
ちなみに王宮内の大半のスペースは博物館として公開されているが写真撮影は禁止。王宮の栄華を存分に伝えることができず、スミマセン。
 

ススフナン家の王宮カスナナン、こちらの王宮の見どころは・・・?

では、スラカルタを代表するもう1つの王宮「カスナナン王宮」に向かいます。こちらは、スラカルタに遷都したマタラム王朝の正当な血統ススフナン家の王宮、先に見学したマンクヌガラン王宮が素晴らしかったため、否が応でも期待が持てます。

カスナナン王宮のファザードです。ジャワ島の伝統と西洋様式がミックスされた建築はジョグジャカルタの王宮でも見たお馴染みのデザイン、私この様式が大好きです。
 

こちらは王宮の廊下。ということで、こちらの王宮の紹介はオシマイです。え、終わりですか・・・うん、こちらの王宮、さほど整備状態が良くないばかりか、ジョグジャや先に見た王宮の方が記憶に残ってしまい、ほとんど写真を撮っていなかったのです。スラカルタ市内で2ヶ所の王宮のうちどちらを見るべきかと問われたら、私なら「マンクヌガラン王宮」と答えてしまいます。まぁ、これは私個人の感想ですからね。


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