バンコクはカオサンのカフェでまったりしていると、隣りから声がかかりました。相手は日本人で、世界一周旅行を終え、二周目に移っているとのこと。30代の彼は身なりが汚らしく、世界”異臭”旅行?などと声に出さないツッコミを入れながら、話しを聞きました。
 

価値観が変わる・・・そんな体験、めったにありません

話しは、まず自分の行ったことがある場所の自慢、まっそれは”上級”バックパッカーにとっては通過儀礼、「すごいね~」「僕はそこ行ったことがないし情報を聞きたいな」などと言って、相手を持ちあげましょう。こういう方、アフリカとインド、南米の話しが大好きです。そして・・・、始まりました、人生観!若者たちは、なぜか人生観の話しをするのが好きで、こうした話題を共有するのが「友情の証し」と思っている節があります。「こんな話しができるなんて、日本の軽薄な人間関係では考えられないよ」などと言いながら感動するのでしょうか。うん、浅い、あまりにも浅すぎる~!
 
話しの内容は、おそらく誰しも予想がつくもので特筆すべきものはありません。そこでのキーワードは「不条理」だとか「世の無常(諸行無常)」だとか、かなり通り一辺倒な言葉で言い尽くされたものです。うん、でもイイのです。確かに日本にいたら、そうしたことにも気が付かず、ごく平坦な時間の流れの中を過ごしていたのかもしれません。
しかしですよ、こうした定型句、たいがい一緒なのが気持ち悪い・・・きっとテレビや書籍で見知った言葉をステレオタイプに述べているだけなのでしょう。つまり、いくら世界一周をしたところで、ステレオタイプな思考から一向に抜け出せない方がいかに多いことか!しかも、そんな方に限って、「俺、この旅で価値観がすごく変わったんっすよ」なんて言うものだから、私としてはフフッと微笑を浮かべるしかなくなります。
 
いや、世界一周を終えて価値観が根底から変わる人、あるいは相手を変えようとする人っていますよね。古くは、べ兵連の小田実さんや鶴見俊輔さんでしょうか。しかし1980年代の旅小説の金字塔「深夜特急」の沢木耕太郎さんや、蔵前仁一さんをはじめとした「旅行人」の一連のメンバーは、そうした”自己の価値観の変化”をとくに意識せず、流れに任せるがままの(ある意味”怠惰”な)旅をしてきました。また、高野秀行さんのような学者あるいはジャーナリスティックな視点で好奇心だけで冒険をする方が、昨今のマスコミを賑わす旅人の代表かな。
そうすると、「価値観が変わりました」と息を荒げて言う人は、かえって(1970年代以前の)古いタイプの旅行者かもしれませんね。ある意味、純粋な方たちです。
 

自分の見た世界がすべてだと思ってしまう人・・・多いんですよ、そんな人

そんな純粋な方たちよりさらに厄介なのが「自分の見た世界」を全てだと思って語りだす方・・・私が一番苦手なタイプの方です。インドは・・・、アフリカは・・・、そんな自分の狭い体験を一般化する方、ま、社会人にも多いタイプですよね。例えば、「インド人は云々」と文句を言う方、あなたはインドでどんな旅行をしたのですか。「ボラれた」「嘘をつかれた」「とにかくウルサイ」といった印象しか語らない方、そんなあなたの接した方たちは、どんな人たちですか?まさか、旅行者であるあなたに向こうから近づいてきた人たちばかり・・・?
例えば、あなたが出会った人が、どの地方の人か、どのクラスの階層か、どういった状況で会った人かetc・・・を考慮せずに、国全体を一般化して語るのは、あまりにも暴挙です(ハッキリ言って、頭が悪い)。私たちは旅行者なのです。旅行者の特権とは、社会環境に影響されず、(禁止されていない)どの地方にも、どのクラスの人々にも、どのような状況でも出会うことが可能な立場だということです。その特権をフルに活かしてみましょうよ!
 
また、世界一周を終えて「自分は特別なんだ」と変な選民意識を持ってしまう方も少なからずいそうです。こんな人、とにかく痛いです。それは、社会生活をおくる多様な人々の一形態であって、特別なことは何もありません。
こうした人の中には、「旅を万人に広めよう」などと思って起業しちゃう方もいるかもしれません(実際に、そんな方に会ったことがあります)。あなたの無理強い、余計なお節介かもしれませんよ、と言って、こんな文章を書く私も、余計なお節介ものですよね。


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