まずは少々堅苦しい話から始めることをお許しくださいね。これまで当ブログでの中国と言えば、雲南省や貴州省、広西、新疆などのエスニック集団(漢民族以外の少数民族)が多く居住する地域について取り上げてきました。エキゾチックな光景に加え魅力的な人々と文化に触れ、私のハートは中国辺境に釘付け…と言いたいところだが、実は中国人の大多数を占める漢民族もエリアによって文化は大きく異なります。判りやすい例でいえば言語と料理でしょうが、とりあえず言語の話し。現在の中国全土で普及する共通語(普通話)は北京語をベースにして作られたもの。しかし、実際に庶民の間で使われる言葉は地方ごとに全く異なり、北京(北方系)と上海(呉越系)や広東(広府・閔海・客家系など)の差異は、日本語と韓国語の差よりも大きいと言われています。
 
例えば「私は日本人です」というフレーズを北京語(普通話)と広東語でピンイン表記をすると:
 北京語)Wo Shi Ribenren.
 広東語)Ngo Hai Yatbunyan.
といった感じ。いや~これ互いに通じっこないぜ!
 
言語や料理が違えばメンタリティも異なるし、実は地方ごと互いの対抗意識も強い・・・これで漢民族として1つにまとめてしまうのは無理があります!事実、福建・広東省に住む”客家”を「漢族」のカテゴリーに入れる一方、見た目や文化の大半は漢族と同一ながら、イスラム教の信仰をもって「回族」という漢族とは別の民族集団にカテゴライズしているのは何とも理解できない話し。その辺りの事情は民族区域自治制度という極めて政治的な話しとなるので脇に置いといて、ここで私が言いたいのは漢族として1つにまとめられる集団が、実は多くのエスニック集団(少数民族)に細分化されるのではないかということ。う~ん、漢民族の中のエスニック集団ってオモシロそう!
 

繰り返し言います。漢族として1つのカテゴリーの中には、単にマイノリティーの枠には収まらない多様なエスニック集団が存在する。それを少数民族として扱うか、あるいは支族として扱うかは問いません。まぁ私的には、客家は漢族とは異なる”少数民族”!しかも、客家のつくりあげた街(農村部)を巡ることは、中国の雲南省や貴州省の田舎を巡ることと同様に刺激的な体験が得られるはずです。
 
旅人同士の会話でよく言われる中国評として「中国は端っこに行かなければオモシロくない」という言葉があります。私たちが普段慣れ親しんだ中国=漢民族の世界から離れ、エキゾチックかつエキセントリックな経験をしたいのならば、チベットや新疆、雲南省など漢民族とは異なるエスニック集団がつくり上げる世界に”脱出”しなければ得られないという先入観・・・それって俺だよ!
 
ただね、その先入観で持っていた”漢民族の世界”って北京や上海を中心とした北方・呉越系文化や、広州・香港・マカオなどで見られる洗練された広府系文化でした。そんな漢民族の主流と戦闘(土客械闘)を重ねることで自らのアイデンティティを強く意識することになった客家、彼らの文化は私たちが想像する”一般的な中国人”とは大きく異なる”少数民族”の世界だと言えます。
 
 
長~いプロローグになってしまいました。まぁそんな訳で客家の方々がつくり上げた文化に触れてみたいと思った所存、そこでまず候補に挙がる旅行先は福建省永定(福建土楼/客家円楼として世界遺産に指定)でしょうか。まぁ、ここは2000年代前半に出張ついでに訪れたことがありパス・・・広東省開平を中心に探索することにしました。

開平はもともと客家たちの街だが、客家と言えば外部の漢族との度重なる戦闘の歴史があり。この開平では略奪行為をはたらく盗賊(匪賊)たちに対抗するため堅牢が建てられるようになった。その後、時代は19世紀~20世紀となり、華僑として海外移住した客家の中から成功を収める方々が多く出現する。そうした華僑から送られた多額の資金に加え、欧米世界の華やかな街並みを映し出したビジュアル(絵葉書)に魅せられ、開平の人々は続々と西洋のビルディングを真似た建物を築いていきます。
 
しかし、それらの建物は・・・しょせん葉書の絵や写真を真似たもので、しかも地元の農民が地元にある建材&人力でつくったもの。例えれば伊東若冲など江戸時代以前の絵師が描くライオンやキリン、ゾウの絵と同じ類いのもので、本物とは似ても似つかない摩訶不思議な建造物が続々と建てられたのです。いや~、この客家ならではの”進取の気性”と”東洋のユダヤ人”ともいわれる卓越した能力がつくり上げた摩訶不思議な世界、これは漢民族がつくる中華的世界とは全く異なるぜ!
 
この開平も世界遺産には指定されているが、福建土楼と比べてもマイナー感は拭えない。とは言えなにせ世界遺産ですよ。きっと観光スポットにはツーリストがウジャウジャ・・・いなかった。私が訪れた2009年時点はツーリストの姿は全く見かけませんでした。ひょっとしたら今はメジャーな観光スポットに変貌してしまったかもしれないが、まぁ10年前はただの素朴な農村。ほぼ無人の田園地帯に突然、蜃気楼のように出現する摩訶不思議なビル群は、まるでRPGの世界を探索する気分となりました。


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