昨今メディアにポツポツと登場する機会が増えた広東省開平の楼閣群、世界遺産に指定されたことで中国国内の観光客も増えている様子。ただ、前回の記事でこの異形の楼閣をつくりあげた客家(ハッカ)の方たちに焦点を当て、漢民族とは異なるエスニック集団(少数民族)として記したところ、オフィシャルな評判はあまり良くないようでして(;´д`)。民族やアイデンティティといった政治的にセンシティブな問題を、こうした旅ブログで書くことは今後避けま~す(ちなみにこの記事は、2020年2月7日公開の「プロローグはまだまだ続く。まずは開平市街地の紹介から」を大幅に修正し、2月9日に再公開しました)。
 

開平市内のガイダンス:意外に都会!街のシンボル、マクドナルドもあるよ

私が訪れた当時でさえ、開平市内の意外な繁華ぶりに驚きました。なにせ私がイメージする開平とは郊外に広がるあの摩訶不思議な楼閣群が建つ田園風景で、その拠点となる開平中心街に関する情報は何も持っていなかった。まあ広州から開平までの直通バスは頻発しており、行ってしまえばどうにかなるだろうと安直な気持ちで向かったが、降り立った先の開平市街地の都会ぶりにビックリ!
 
開平に到着し、まず最初の仕事はホテル探し。が、これも意外に順調で、道を歩いていた一人目に声をかけたところ、すぐ目の前のビルを指さした。そこが「広視酒店」というホテルで1泊の正規料金は当時188元(ツイン)、ところが宿泊客が少なかったのか、私が泊まるかどうか考えるふりをすると、連泊を条件に半値以下の90元に下がった。

どうですか、この部屋で90元ならお得でしょ!実は開平で連泊するつもりはなかったが、他の広東省の田舎街でこのグレードのホテルが見つかるかどうか判らない・・・3泊することにしました。
 
開平市内が意外に繁華している姿は、冒頭のマクドナルドや当時流行の羊シャブシャブ専門店(確か「小肥羊」)などのチェーン店舗が多かった点でも窺い知れる。そして、街なかのスーパーの食品売場を覗くと・・・

ギョエ!ワニが解体され売られていました。例えば日本でもマグロの解体ショーなどがあり、あれを初めて目にする外国人にとってはホラーそのものかもしれないが……。ただねぇ、この開平という広東省の片田舎でワニの解体ショーが行われ、しかもその肉を求め市民が右往左往していたことを想像すると、中国人って強いね!ちなみに、この記事を記した2020年2月初旬は、新型コロナウイルスの蔓延により世界がパニックに陥り、感染の要因として野生動物(コウモリ、タケネズミ、アナグマ…)を食する中国人の食習慣が怪しいと皆が思っていた時期。暖房が効いたスーパーの中で解体したワニをそのまま放っておき、周囲をハエがブンブン飛んでいる……こんな衛生観念に皆が怒っているのです!
 
後日、開平市内の市場に足を踏み入れたところ、さらにホラーな光景が待ち受けていた。ここに写真を掲示することは控えますが(そもそもあまりの惨劇に気分が悪くなり写真すら撮れなくなる)まだ生きているのに足先がつぶされた上に下顎が割られ吠えることすらできず横たわる犬や、皮が剥ぎ取られた状態でピョンピョン飛び跳ねるカエル・・・(>_<)  

開平の情報ってどうやって知るの?

話題がトンデモナイ方向に行ってしまったため話題を元に戻します。開平市街地は中国の至る場所で見られる、煩雑な地方都市でした。ここにいても私が期待している客家たちがつくり上げた奇天烈な望楼が立ち並ぶ村落や、帰国した海外華僑の豪華な邸宅が見られるわけではありません。では、そうした目的地に行くための情報をどうやって集めるか・・・ネット情報をあさっても薄い情報ばかりでガッカリするかもしれない。ある程度この地に関心がある方なら書籍、日経BP「旅名人ブックス」シリーズから2000年代に出版された『広州・開平と広東省』は必ず入手す(図書館で借りる)べきです。一応はガイドブックのため、旅行者向け一般情報に垣間見える楽しいマニアック目線、しかもほぼ全編がカラーで印刷され写真集としてもスバラシイ一冊。私も当時この本を書店で手にし開平の奇抜な望楼群の写真に目が釘付け、近い将来は必ず行こうと決めたのでした。
 
ネット情報では、これも古いのですが『開平の歩き方』というホームページが参考になると思います。とくに各みどころのマップがスバラシイ出来栄え。ホームページ作成者の方になんの断りもなくリンクを貼ってゴメンナサイ。
 

開平のプロローグに打ってつけ、海外華僑の邸宅「立園」を訪れる

開平市街地でぼやぼやしていても仕方がない。広州から到着してまださほどの時間は経っていないが、さっそく市街地から一番近い見どころに向かうことにします。それが立園。望楼群で有名な自力村や馬降龍とは異なり、立園はアメリカに渡った華僑一族(謝氏)により建てられた豪華な邸宅。まぁ邸宅といってもただの家ではなく、私家園林と呼ばれる個人庭園を基調とした広大な邸宅なのです。
 
さて、この立園はナニせアメリカ帰りの華僑が造ったのですから、豪華な洋風の造りが最大の特徴。合計7つの洋楼とヴィラなどを併せもつ「洋風の私家園林」は10年の歳月を経て1936年に完成したとのこと。予備知識の披露はここまでにし、では私の旅行記録をほんの少しご覧ください。
 

開平市街地のから4番バスに乗り込み立園に向かったが、降りてビックリ、いかにも最近つくられた大きな駐車場に立てられた門が私たちを出迎えてくれる。ちなみに、昨今は中国人観光客に人気の観光地となったためか土産物も売られているが、それがさすがのグロテスクぶり。アジの開きならぬカモの開きなど誰が買うんだよ!と思い見ていると、観光バスで到着した人のかなり多数の方たちが買っていった(*´Д`)
 

駐車場の巨大な門をくぐると、さっそくスバラシイ洋館風の建物が見えてくる。2枚目の写真に写る建物は、向かって左から洋立楼・炯廬・楽天楼、また中央に写る人物像はこの立園の主・謝維立先生です。なぜ「先生」とつけたかと言えば、像の説明書きにわざわざ先生と記されていたから。まぁこの辺も日本人とは感覚が違うんだよな。
 
これらの洋館は、その後に訪れた自力村や錦江里ほどのインパクトはないが、やはり奇抜なもの。とくに洋立楼はステキなベランダが特徴的で、東南アジアなどで見られるコロニアル建築の様式を踏襲しているものと思われます。ここで目を引くのは、やはり中華風の屋根ですね。例えばペナン(ジョージタウン)や上海(外灘など)の建築群はほぼ西洋の様式を踏襲しています。それがここには中華とも洋風ともつかない立派なビル建築が建っている。日本で例えれば、藁ぶき屋根の立派なビルが建っていたら……奇妙でしょ!中国風意匠を随所に取り込む謝先生の華僑精神、立派です。
 
ただね、正直に言えば立園ではインパクトが不足していることは否めないかな(まぁ中国人にとっては開平で一番人気がある観光スポットは立園らしいが)。とは言いながら、中国の一地方都市として大した個性が感じられない開平市街地からほど近い場所に、これほど洗練された文化的景観が広がることには驚き。やはり独特の文化を持つ客家の感性は一味違うぜ!


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