氷見線では”忍者ハットリくん”のペイントが施されたキハ40に乗車しましたが、なぜハットリくんがわざわざ描かれているのでしょうか。実は、氷見はあの藤子不二雄Ⓐ先生の出身地、最近はアニメの街として地域振興を企ているのです。もともと氷見は古い港町、氷見の寒ブリは全国にその名を轟かせたブリの一大ブランドですよね。私も新鮮な魚介を目当てに氷見の街に立ち寄ったのですが、まさか藤子先生の描いた数多くのキャラクターに思いがけず出会えて感動しました。では、氷見散歩をご覧ください。
 

氷見の街歩きは氷見駅からスタート

氷見駅に降り立った私はさっそく駅構内にある観光案内所を訪問。こちらの案内所で氷見市内の観光マップをいくつかいただき、街歩きの計画を立てます。
 

終着駅という言葉、しかも車止めを見ると、鉄道ファンではなくとも旅情が掻き立てられると思います。
 

氷見のひなびた道を歩く

駅を出て歩き出しますが、おそらく氷見の中心街だというのに人に会うことはほとんどありません。寂れゆく地方都市の典型的な光景でしょう。
 

しかし、どこの地方へ行っても大概の市街地には”スナックビル”が建っている。実は私、スナックという場所に足を踏み入れたことが一度もなく、こうした場所がどれほどの需要があるのか全く見当がつきません。
 
ただ、スナックのネーミングセンスは好きで、稚内や網走、青森市内などにはいかにも”最果ての地”という名前がついていることに笑ってしまいました。また、那覇市内のスナック街は明るい陽光の中で古びた建築が密集しており、これは後世に残さなければいけない風景だと感じました。
 

話しを氷見に戻します。メインロードの裏手には川が流れており、いい雰囲気を醸し出しています。
 

氷見のアーケード商店街(まんがロード)は藤子先生渾身のオブジェがいっぱい

氷見駅正面の道を200mほど歩くとアーケード商店街に出る。この”本町”が氷見市内でもっとも繁華している場所でしょうか。さすが氷見だなと思うのは町名の表示に魚が描かれていること、これらはブリなのでしょうね。
 
この商店街を歩いて少々驚くのは、あちらこちらに魚介類を象ったオブジェが置かれていることです。

このデザインのタッチ、お気づきの方も多いのでは、そう藤子不二雄先生が描く絵のタッチと同じなのです。
 
調べてみると、この氷見の街は藤子不二雄Ⓐ先生の出身地、ご生家の寺院もかなり近い場所にあるそうです。市内に置かれたこれらのオブジェは、氷見市が町おこしのためにと藤子Ⓐ先生に相談した所、即答の返事で作成を引き受けてくれたとのこと。粋ですね。
 

氷見の街歩きは古民家巡りがおススメ

氷見市内を歩いて気がつくのは、古い木造建築が随所で見られることです。

2軒の古民家を載せてみました。1枚目は古い白壁の蔵が残る大きな商家。2枚目は木の格子窓が特徴的な町家ですね。氷見市内には猟師や網元が暮らした町家が多く残り、表通りから海側に面した出入り口まで通り土間でつながっていた、建築当時の様式が現存している場所が多い。建築ファンならずとも、こうした建造物を見て歩くのは楽しいもの。
 

氷見漁港で海鮮グルメを堪能する

氷見駅から1km程度でしょうか、歩いて15分ほどで氷見漁港にたどり着きます。
 

これだけの大きな漁港です、きっと魚市場があるだろうと思っていたら・・・見事に予想は辺り!
 

市場に着いたのはちょうど昼時、セリはもう終わっているのでしょうか、仕分け作業をしていました。
 

市場といったら市場食堂ですね。氷見駅の観光案内所ではおススメのレストランマップが用意されていたが、こちらの食堂は記載されていなかった。ただ、富山県を代表する漁港「氷見」のことですから、港へ行けばおいしい食堂があるはず・・・と考え、「魚市場食堂」に足を踏み入れました。オーダーしたのは海鮮丼、アラ汁のサービスが付き税抜1790円でした。地魚がふんだんに盛り付けられた丼はボリュームがスゴイ!下のご飯が見えませんね。
 
盛られた魚の種類を聞いたところ、タイにスズキにコズクラ・・・冬の名物ブリはまだ入っていませんね。ところでコズクラという魚、私は初めて聞きました。皆さんご存知の通り、ブリは出世魚でいくつかの幼名を持ちます。東京出身の私など、ブリの幼名はハマチやイナダしか思いつきませんが、北陸地方ではこのブリの幼名が何種類もあり、コズクラもそのうちの1つ。うん、ハマチだと思って食べたものが氷見では別の名前で呼ばれているとは、さすがブリの街、造詣の深さに恐れ入りました。


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