マドリッドまで無事に到着しホッと一息をついたのも束の間、妙にハイな気分のため眠りが浅く深夜・早朝とマドリッド中心部を徘徊しました。そんな時間に外出して危険はないのでしょうか?
 

3月17日:マドリッド到着後の光景

夜のプエルタデルソル

カタール航空便の代替フライト、エールフランス便は無事マドリッドに到着。ホテルがある「Sol」(ソル)駅で地下鉄を降りたときは、すでに日は落ちていたが、ここはマドリッドの中心地「プエルタ デル ソル」、21:00頃はまだ人が多く難なくホテル(Hotel San Isidoro)に着くことができました。

 

プエルタデルソルとは対照的に、マヨール広場は人影がまばらで、少し不安になる

夕食(夜食?)がてら、23:00を過ぎてから、ホテルにほど近いマヨール広場界隈を徘徊するも人が思ったより少ない。若者はいるが、これだけ広い場所にアジア人2人だけで深夜にいるのは、かなり不安でした。実はスペインは観光客にとって治安がさほど良い国ではないことは知っていたので、ここはすぐに退散して食事場所を探しました。

 

スペインバルの強烈な魅力。生ハム「ハモンセラーノ」がとにかく旨い!

マヨール広場からほど近い場所に、なにやら賑わっている肉屋(?)を発見。中を覗いてみると大勢の人たちがスタンド形式で飲食をしている。そう、「これがスペインバルなんだ」と気分はハイに、ふと上を見ると2階にも客がおり多くのテーブル席がありました。日本を出発して以来、久々に落ち着いて食事ができると思い一安心!

 
あらかじめ申しておきますと、この2012年5月以前の「世界旅行記シリーズ」で記した大半の旅行は伴侶と一緒に旅行をしました。大半の写真には彼女が写ってしまっているため、公開できる写真が少なく出来栄えも悪い・・・と一応、最初に言い訳を。本当に素晴らしい写真が公開できなくて残念。でも、この写真だけでもおいしさが伝わるかな?この後「究極のハモンセラーノを巡る旅」と題しても良いくらい、この生ハムにはまってしまいました。

 
 
ホテルに戻りテレビをつけると、相も変わらず震災のニュースばかりが流れている。当時、日本からの直行便も運行されていなかったスペインでも、あの津波の映像が繰り返し流れているのは、やはり気が重くなります(この時点では、原発事故のニュースはほとんど報告されず、津波被害の映像ばかりが多く流れていました)。ホテルロビーに行くと、誰かから同情の言葉をかけられたが、どこか好奇に満ちた視線も同時に受けたのは忘れません。また、日本が困難な状況にある中、自分たちがこれだけ楽しんで良いのかと自問しているうち、夜は更けていくのでした。
 

3月18日:結局ほとんど眠れずに、朝を迎える

早朝のプエルタデルソル

ベッドで横になっても次から次へと不安がよぎり、結局ほとんど眠れませんでした。まだ夜は明けていなかったが、早朝の街をぶらついてみました。こんな早朝のプエルタ デル ソルには誰も歩いていない。この誰もいないヨーロッパの街角の光景って映画の1シーンを連想させるが、何の映画かな・・・私は「オーメン」や「エクソシスト」などオカルト映画で登場する、神父が歩くシーンを連想します。

 

ホテルのすぐそば、「Chocolateria San Gines」で絶品チュロスとチョコラータを堪能

「Chocolateria San Gines」(チョコラテリア サン ヒネス)は、マドリッドでも著名なチュロス専門店です。誰もいない街をぶらつく勇気は私にはなく、ホテルのすぐ裏手にあるこのチョコラテリアにいざ参上!

早朝から濃厚なチョコラータ(チョコレートドリンク)は寝不足でぼやけた頭にガツンとくる味。日本ではそうそう味わえない極端な甘さと苦みが同居した味を流し込むと、いつまでも寝ぼけてる訳にはいかない。ちなみに私は超甘党なのでこの味が大好き!チュロスと合わせ、もう感涙ものです。
 
 
この日は何をしようかとチョコラータを飲みながら考えていました。マドリッドの喧騒と人混みの中を観光はしたくないし、スリなどの犯罪に巻き込まれるのは御免です。ホテルに帰ってもテレビをつけてしまい結局は休まらないな…と考えるうちに、思いついたのは・・・「そうだ、トレドに行こう!」


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