トラジャ族の葬式の一部始終を細かに実況します。凄惨な現場を目の当たりにし言葉を失いました。
 
「死」からは誰もが逃げることはできず、私たちは自らの命を永らえるために、動植物など他者の生命を殺処理してまで必要としていることを理解しております。しかし、私たちの一般的な生活では、牛豚などの屠殺などの光景に立ち会うことはありません。ただ、発展途上国を旅行すると、屠殺という光景がありふれたものとして生活の一部になっていることが判ります。

上の写真左(上)は牛を屠殺した直後の場面。民族衣装に身を包んだ少年が噴き出す血を筒に取る作業に移ります。写真右(下)は解体された牛2頭の頭を撮影したもの。このページでは、一部の写真にモザイクを入れました。
 

トラジャ族の葬祭の様子を報告します
トンコナン(舟型の家屋)に棺を搬入します

先まで、年配女性たちにより合唱(讃美歌の合唱)が行われていましたが、女性たちが後方に退いた後、男性たちが、真新しいトンコナンの前で輪の形をつくり集合。それに合わせトンコナン型の棺が男たちのもとに運ばれてきました。
 

真新しいトンコナンに、同じようなトンコナンの形をした棺が運び込まれました。棺が重いようで、男性たちが難儀している様子がうかがえます。
 

牛が葬祭会場に連れ出されてくるのが見えてきました

これからの運命を知りもしなかったのか、のんびりと草をつまんでいた牛が一頭、葬祭会場に連れ出されてきました。かなりおとなしく優しそうな眼をした牛です。今後、自分の身に起こる出来事を達観していたかもしれません。後ろにもう一頭、別の牛が控えています。
 

棺をトンコナンに納棺をし終え、牛を広場中央に連れ出します

シャーマンの男性が何を言っているのか、よく判りませんでしたが、おそらくは祈祷の言葉を発しながら、葬儀の進行をしているのでしょう。棺がらだされたご遺体が、トンコナンの中に入れられようとしています。
 

ご遺体をトンコナンの中に入れ終わった頃、牛を広場中央に連れ出しました。ここで、いったん休憩の時間。世話を焼いてくれたご家族の方から、肉と手のひら分のご飯をいただきます。ご家族から食べなさいと促されました。
 

30分ほどの休憩が終了後、すぐに牛の”奉納”(屠殺)が始まりました

ランチタイムを兼ねているのでしょう。30分ほどの休憩時間はどこか平和な空気が流れていました。これから起こる現場の様子がこの時にはまだ想像すらできません。
 

“その時”は急に訪れました。広場中央にいた牛が杭に結び付けられました。しっかり結び付けられたことが確認できたのでしょうか、その後、間髪入れず屠殺人の持つ刃が牛の喉元を掻き切る。牛はすぐさま倒れこみながらも、何度か立ち上がることを試みるが、力尽き血をふきだしながら倒れこんでしまう。ただ、しばらく絶命することはありませんでした。
 
こういう場面で、一番前に陣取って写真を撮っているのが、外国人の観光客なんですね。おそらくは、事情通のガイドに連れてきてもらった西洋人ご一行でしょう。
 

一頭目の牛が静かに横たわっていることを確認した後、二頭目の牛が連れてこられました。先ほどの牛は、屠殺されるその時でも静かでしたが、今度の牛は、つながれる前から多少暴れたり鳴き騒ぐのです。自分と別の牛が目の前で横たわっている姿を見たら、それは興奮するでしょう。
 

二頭目の牛は興奮して騒いでいた分、喉を掻き切られたとき一頭目よりも激しく血がふきだしてしまいました。ちなみに、一頭目が絶命したのが判ったのでしょうか、野良犬が流れた血を舐めに来ます。
 
もう、いたたまれない気持ちになりました。その場にいることが辛くなり、気持ちを落ち着かせるために、しばらく辺りを散歩することにします。
 

別の場所では、豚たちが屠殺されていました。彼らのけたたましい声は牛の比ではありません。
 

しばらく時間をつぶした後、もうあの辛い現場を見ることはないなと、お世話になったご家族に帰りの挨拶をしようと思い、広場に戻りました。すると・・・牛たちの解体が始まっていた。
 

葬祭のレポートはここまでです。ランテパオまでの帰路に着きました

そこそこの挨拶を済ませましたが、見物の人たちは、この状況の中で食事をとったり談笑を交わしている。さすがにそこに身を置くことも辛く、沈痛な気持ちで朝方ベモを降りた「タッパラン」の橋のたもとへ向かいました。

途中、立派なトンコナンがある集落を通り過ぎます。ここにいた子供たちは、今日すぐ近くの広場で行われた”惨劇”をまったく知らなかったのでしょう。10分も歩くと別世界が広がっているのです。
 

橋のたもとに戻ってきました。どこでベモをつかまえようかと、近くの雑貨屋にいたお姉さんに尋ねたところ、「ベモは午前中のみで午後はない」との返事。えぇ~!
お姉さんは、「ここで休んでいけ。(誰かの)車が来たら止めてあげる」と言っているようでした。片言の英語と身振りでも、なんとかコミュニケーションはできるようです。結局、1時間ほど待ったでしょうか、1台のトラックが通りかかり、聞いてみるとランテパオに行くとのこと。砂利運搬のトラックの荷台につかまり、ランテパオに戻ったのでした。
 
降りる際、トラックのドライバーは、ただ「Happy」を繰り返して言うだけでした。知っている英語の語彙が少なかったのでしょう。お金を請求されることはなかったが、IDR5000を手渡すと、満面の笑みで握手を求められました。
 
もうずいぶん前なのに、この日の出来事は今でも鮮明に思い出せます。そして、文章を書きながら胸が痛くなってきます。葬祭を見学した後、ランテパオに戻ってからの記憶は全く残っていません。次は、タナトラジャのさらにディープな場所を紹介します。特異な埋葬方法で知られるエリアを探訪しましたが、そちらはモザイクなしで公開できるかな?


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