私がブキティンギの街が好きな理由として、(前回報告したように)コンパクトにまとまった街並みの中で散策を楽しめることに加え、実はもう一点さらに大きな理由があります。それはブキティンギの街から少し歩けば、すぐに大自然の真っ只中に身を浸せる点。ブキティンギの中心街から10分ほど歩けばガライ・シアノッ渓谷を一望に見渡せるパノラマ公園にたどり着く。

う~ん、壮大な眺めですね!このガライ・シアノッの大峡谷は散策(トレッキング)も楽しいのですが、パノラマ公園内には旧日本軍が残した防空壕などの戦跡が残されており、先人の残した足跡をたどることも興味深いですね。
 
また、ガライ・シアノッ渓谷の脇を走る道を1時間ほど(約2km)歩けば、銀細工で有名な街コト・ガタン(コタガドゥン)に着きます。私はこのコト・ガダンをぶらついていた時、老夫婦の方に声をかけていただき、一緒に街を散策しました。では、ガライ・シアノッ渓谷(パノラマ公園)とコト・ガダンの旅行記に加え、それぞれの場所を巡る際の注意などをあわせ紹介します。
 

コト・ガダン訪問記

コト・ガダンまでの道・・・かなりキツイ階段道(別名コト・ガダン版 万里の長城)が延々と続く

ブキティンギの中心街からコト・ガダンまでは約2km、歩いて1時間の道のりです。こう書けば楽な行程だと思われるでしょうが、実はそうでもないんですよ。
 

ブキティンギ市街地外れのマーケット

ブキティンギの街外れにあたる場所でしょうか、途中の沿道ではマーケットが開かれていました。
 

私の見ている前で鶏をしめていました。まぁ東南アジアを旅行すれば、こうした光景は日常茶飯事!ここに来るツーリストはほとんどいないのか、突然の来訪客に皆さん興味津々でした。
 

山のハイキング道に苦戦する

ガライ・シアノッ渓谷の淵をまわりこみながら歩くため景色はイイですよ。山に入ってもはじめはアップダウンがとくになく、クルマやバイクが通ることもないため、この時は本当に歩きやすかった!
 
しかし、川を渡った先から長いなが~い階段が見えてくる。

ひえ~別名「万里の長城」、延々と続くこの階段を上るのけっこうキツイです。ガイドをひきつれた外国人グループと途中ですれ違うが、皆さん疲れた表情です。すると、突然ガイドさんが”ビッグスネーク”と声をあげるが、なんてことはない、小さなヘビが階段を下りていました。
 

コト・ガダンを散策する

「万里の長城」を上がりきるとやっと平坦な道に。コト・ガダンの街に入ったようです。

街の中央広場ではマーケットが開かれていました。が、見どころがよく判らないまま、街をぶらぶらすると・・・。
 

老夫婦の方に声をかけられ、家にご招待されました。お茶をいただきながら、お宅の調度品や布地などを見せていただく。言葉は全く通じませんが、私がさも興味がありなんと言う表情で頷いていると、うれしそうな表情を示してくれます。私が突然押しかけた形ですが、こうした来訪者を快く迎えてくれた老夫婦に感謝!
 

お茶をいただいた後、外を散策しようと誘われる。伝統装飾が施された住宅が多く残され楽しかったです。
 

こちらのお宅(縫製工場)では仕事の様子を見せていただく。この街は銀製品で有名とのことですが、それには全く触れなかった。しかし、ガイドブックの後追いよりは、こうした行き当たりばったりの方がよほどオモシロいです。
 

ガライ・シアノッ渓谷(パノラマ公園)訪問記

老夫婦の方は地元の若者に声をかけて、私たちをバイクで送ってあげるよう頼んでいた様子。当然に若者はOK、ただどこで降ろしてもらうか英語で伝えることが難しかったため、私はパノラマ公園の写真を見せて、ここで降ろしてもらうようにお願いしました。
 

ここがパノラマ公園でしょう。ガライ・シアノッ渓谷の景観を堪能する

バイクのお兄さんは写真の場所近くで確かに私を送ってくれました。お礼にRp10000を渡すと満面の笑み、ただ、老夫婦には何のお礼もできなかったことが心残りです。

美しい!この景色を眺めているだけでも長い時間が過ぎていく。
 

自称ガイドから声がかかるが・・・注意!悪人か善人かは顔に出ていることが多い

パノラマ公園でしばらくボッ~としていると、一人の男性が近づいてきました。かなり流暢な英語でまずは挨拶と世間話、これはどの街へ行ってもアルアルの状況。
 
しばらく話すと、ガライ・シアノッ渓谷をガイドするよとお誘いがかかる。ただ、この人、顔つきが悪いうえに身体が大きいんですよ。この近隣に他は誰もいない。下手に雰囲気を崩して相手の機嫌を悪くするのは避けたい。そうこうするうちに、スマホの写真を見せてくれるが、見つけてしまった。彼と外国人男女が裸になり渓谷で寝ている写真を!
 
これはマズいですね。私は公園から離れ、静かに街に向かい歩き出すと彼もついてくるが・・・やっと人の気配がある場所に出た所でバイバイ(@^^)/~~~、彼はチェッと舌打ちをして公園の方へ戻りました。
 

公園近くで見かけた日本軍の防空壕

先の自称ガイドがまだついてきていた時、鉄柵で閉まった洞がある。彼に聞くと”日本軍が残した防空壕”とのこと。この場所をwikipediaで検索してみると、以前ここには旧日本軍が労務者を殴打するレリーフが展示されていたようです。しかし後にこの虐殺と言われたものが”フェイク”だと実証され、1997年インドネシア政府はレリーフを撤去したのでした。とくに中韓や東南アジアでは日本軍を加害者として描くストーリーが目立ちますが、加害・被害事例をしっかりと調査した上で事実関係を認定し実証したことは立派なものだと思います。


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