トゥットゥッでカフェを巡るうちに気力が復活、トバ湖を自転車で観光してみようという意力に満ちたプランを実行する時がきました。ちょうど都合よく、私の泊まっていた宿ではレンタル自転車が無料。この界隈には乗合ベモが走っていませんが、旅の足はバッチリ。ただ、宿の中でWiFiの電波は飛んでいましたが弱いのなんの、よほど運が良いときでなければネットに繋げることはできません。これじゃグーグルマップも見れないじゃないかと不安に思う必要はありません。宿には古いロンリープラネットが山積みされており、いつでも貸してもらえます。まあ古い旅のスタイルですが、ロンプラの地図を参照しながら、自転車旅にレッツトライ!
 

まず始めはトゥットゥッから一番近い街、トモッまで行きます

トゥットゥッの街からトモッまでは3kmほどの道のり、自転車を漕いでいくにはちょうど手軽な場所。サモシール島対岸のパラパッからフェリーが出る街の1つです。トモッには、約400~500年前にこの地で栄えた王家の墓が残り、とくにシダブダル王の墓と石棺は見応えがあるとのこと。まぁあまり期待をせずに出かけることにします。
 

トモッに至るまでの道を楽しむ
宿を出発するとすぐに高台、景観がとても美しい

 

バタッ族の墓はとても豪華、立派だなあ

これから目指す王家の陵墓に至る道の途中でも、特に目を引くのはお墓。つい最近(ここ10年以内)に建てられたものと類推できますが、とにかく豪華です。

自転車を漕ぎだしてからすぐの場所で見かけたお墓。これは一般の方の墓だと思われ、さほど豪華な印象は受けませんが、さっぱりとした美しい墓。一般的にスマトラ島はイスラム教徒が多数を占め、とくにスマトラ最北端のアチェ州ではインドネシアで唯一のイスラム法(シャリーア)に基づく自治権が認められるなど、とても保守的なエリアとして知られています。ところがどっこい(古い言い回し!)、このトバ-バタッ族ではキリスト教が主に信仰されており、お墓にもイエス様の肖像が飾られていますね。しかも、墓の頂には彼らの伝統家屋を模したものが飾られており、伝統宗教とキリスト教が習合したものを信仰していることが類推できます。
 
参考のため、宿のすぐ近くで見た教会と、彼ら先住民族(バタッ族)の伝統家屋を貼ります。

 
こうしたお墓にも感銘を受けながら、さらに自転車を漕ぐと・・・驚愕の豪華で巨大なお墓が現れました。

家の敷地よりも広いのではないでしょうか。大きな十字架が見えるため、やはりキリスト教徒の方の墓であることが判りますが、建物全体に貼り付けられた仮面とトカゲ、また階段や周囲を取り囲む意匠、これはおそらく波を表現したものではないでしょうか。素晴らしいです!家を模した巨大な建物には多くの墓標がありました。
 

「家」の隣りには石棺がありますが、それには人型の顔と下には人が彫られており、ミステリアスな雰囲気が充満しています。これはおそらく一族の当主とそれを守護する神がデザインされてるのでしょうか。予備知識を全く持ち合わせていないため、いいかげんなことしか書けませんが・・・まあ勝手に私の推測による墓の考察を記します。
 
まず前提条件として、スマトラ島はイスラム教信者が多いのは先に書きましたが、なぜこのトバ湖周辺ではキリスト教が信仰されているのか、ここから私の勝手なストーリーが始まります。もともと海の民で伝統宗教を信仰していたバタッ族、しかし後にスマトラ後にたどり着いたムスリムにより、バタッ族は奥地へ奥地へと追いやられてしまうのです。やっとトバ湖サモシール島に安住の地を見つけだし、一大文化を築く。20世紀に入り、オランダ人の入植によりキリスト教が広められるが、もともとあった伝統宗教と習合し、現在の墓の形態となった・・・(^^)どうです、それっぽいストーリーでしょ。海の民としての記憶は、こうした墓の意匠に残されていると知ったかぶった感じで述べておきます。
 

トモッに到着。小さなマーケットと王家の墓を散策する

3kmほどの道のりですから、ゆっくり自転車を漕ぎながら周辺を散策しても1時間程度でトモッに着きました。

小さな露店マーケットを散策する

トモッの街に入りすぐ目についたのは、港のそばで開かれていた生鮮品マーケット。野菜や果物、鮮魚、干し魚が所狭しと売られ、賑わっていました。
 

写真を撮っていると、オバチャンが小さなマンゴーを1つ手にのっけてくれる。買うつもりはなかったので、いらないよと返したら、”イイから持っていけ”という手振りで渡してくれました。ありがとう、オバチャン!子供たちが写真をせがんできたりと、まあ、よくある光景です。
 

市場から先に進むと教会を発見。先ほどから申しておりますが、この辺りはキリスト教が信仰されており、ちょっとした街には、かなり大きな教会がつくられています。中に入ろうと思ったが、扉が閉まり周囲にも人がいなかったため断念。ちなみに建物に記されたHKBPとは、バタック族プロテスタント・キリスト教会の意味。そう、プロテスタント教会なのです。
 

シダブダル王の陵墓に向かいます

ここまで来てもシダブダル王の墓が見つからない。もしかしたら道を間違えたのかもと思い、港に再び戻ります。

こちらはお土産物屋さん・・・ということで、そうか!お土産屋の近くに観光地がありの格言を忘れていました。カワイイお姉さんが店番をしていたので道を聞いてみます。お姉さんは丁寧に王家の陵墓までの道を教えてくれた上に、自転車を見ててあげるからここ置いた方が良いよと、ありがたいことを仰ってくれます。感謝!
 

バタッ伝統博物館をまずは見学します

土産物屋が並ぶ道を歩くと見えてきました・・・が、想像と違う!実は辺りは陵墓を中心に観光化がなされ、これらの建物群は「バタッ伝統博物館」として公開されているらしい。陵墓はこのすぐ脇にあるとのこと。
 

高々とした石柱トーテムポールは、こうした伝統集落の守護神としてよく祀られています。オーストラリア原住民を基にした一般的な解釈では、自分の先祖を動物に見立てたアニミズムの象徴として考えられることが多いのですが、果たしてこのトーテムポールはどのような意味を持つのでしょうか。
 

家屋の前には男性の像が立っています。このトバ-バタッ族に関する知識は全く持っていないので、これも憶測ですが、家屋のご先祖の霊を祀ったものという、毒にも薬にもならない解釈を加えておきます。
 

目的地、シダブダル王の陵墓に到着

伝統家屋群から案内に従い歩くとありました!この墓地こそ私が目指したシダブダル王の陵墓です。
 

こちらがシダブダル王の石棺なのでしょう、確信はもてませんが、いや絶対にシダブダル王の石棺です(;^_^A
 
ここで『地球の歩き方』に記された解説を転記、「ひときわ目を引く石棺、これはシダブダル王のもので、前面に大きな王の顔、その下には護衛司令官サイド将軍の浮彫、後部には王が愛した女性セナガの石像が載っている」とのこと。どうですか、正解でしょ!
 
 
この石棺を見て大満足!一日の仕事をやり終えた充足感に満ち足りています。片道たったの3kmの移動ですから、トモッを離れて他の場所を巡っても十分な時間が残されています。しかし、1日でいろいろなイベントやプログラムを詰め込んでしまっては、せっかく疲れが癒えてきたのにまた疲れてしまう!今日はここらへんで”すべきこと”を打ち切ってトゥットゥッへ帰還、カフェで休むことにします。


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