マレーシアに滞在したのも束の間、すぐにジャワ島に飛び立ちました。今回ジャワ島を訪れる最大の目的は、ジャワ島第2の都市スラバヤ郊外にあるシドアルジョの泥火山を訪れるためです。ここは世界最大の泥火山として知られますが、2006年には過去最大規模となる泥土噴出事故が発生、12の村が泥土の下に埋もれてしまった凄惨な現場。事故から10年以上経った2017年時点でも6万人の人々が避難民のまま、そんな現場をぜひともこの目で見てみたいと思い、まずはスラバヤを訪れました。
 

シドアルジョ泥火山の概要

そもそも泥火山という言葉自体、馴染みにないものですよね。泥火山とは地下の粘土が地下水やガスと共に地表に噴出し堆積したもので、必ずしも「火山」とは関係がありません。まあガスを含んだ泥水がかなりの規模でブクブクと噴出している場所と考えれば、イメージできるでしょうか。
こうした泥火山は日本でも見られますが(ex.新冠泥火山)、この最大規模のものがインドネシア、スラバヤ近郊にあるシドアルジョ泥火山なのです。
 

シドアルジョ泥火山の泥土噴出事故とは

上記の写真は2007年に撮影されたシドアルジョの事故現場で、wikipediaから引用しました。写真が撮られた時点で事故から1年程度経過しているはずですが、村は泥水の中に埋もれたままで、破壊された家々の壁だけが無残な状態で取り残されているのが判ります。
 
2006年5月、シドアルジョの天然ガス採掘現場から、突如、高温の汚泥と有毒ガスが噴出し始め、2ヶ月後には噴出量が1億2600万㎥にまで増加、2006年10月時点で被害面積は4.15㎢に及び4つの集落が壊滅、住民約9100人が避難する事態に。しかし当時のインドネシア政府が有効な対応手段をとれなかったため、その後も被害は大きく拡大、また泥土には有害な重金属を多数含んでいたため深刻な環境汚染をもたらす結果となりました。
 
さて、ここで問われるのは、こうした被害の拡大と周辺環境の汚染が自然災害によってもたらされたのではなく、完全な人災であったという点です。まず、泥土の噴出事故自体が、天然ガスの掘削作業によって引き起こされたとする意見が大勢。しかも、事故の初期段階では政府による具体的な対応がなされなかったこと、また2007年以降に近くを流れるポロン川に泥土を流す作業を行ったが、それでも泥土の流出を止められなかったばかりか環境汚染の拡大をもたらす結果となる。
 
噴出事故の概要についてはここまでにしておきます。ただ、泥土の噴出自体は2017年以降弱まってきたとは言え、環境汚染に加え住民補償など、解決が先延ばしにされた問題が山積した状況は現在でも変わりません。
 

私が訪問したシドアルジョ泥火山の記録

スラバヤのブングラシー・バスステーションからシドアルジョまでは1時間もかかりません。バス料金は私が訪問した時点ではRp5000(約40円)、バスステーションの切符窓口で「シドアルジョ(Sidoarjo)」と連呼すれば、そこへ向かうバスを誰かが教えてくれるはずです。
 

バスは田園風景の中を走り、この辺りが深刻な環境汚染の現場になっていることなど想像もつきません。退屈な景色に飽きてきた頃、バス車掌にここで降りろと言われる。車掌が言うには、線路の反対側がシドアルジョとのこと、確かに高台のような堤防が出来上がっているなと思っていました。
 

これがシドアルジョ事故現場の光景だ!

線路脇の高台(堤防)には階段があり、そこを上ると・・・ただ茫洋とした光景が広がっていました。

延々、泥土と泥水だけが広がる光景が目に飛び込んできた。このすぐ脇(堤防下)には田園風景が広がっているのに、堤防上には不毛の荒野が広がり地平線までが見えてくる。しかも、この泥土の下には数々の村々と田畑、そして人々の暮らしが存在したはずなのです。それが今や・・・言葉を失いました。
 

この写真でお判りでしょうか?泥土の先に泥水が噴き出しているのが見える。私はそこまで歩いて行こうと思いました。
 

シドアルジョで私自身が危険な目に遭う

噴出現場まで行ってみようと決意をかため数10メートルを歩いたところで、突然ズボッと足が地面にめりこんでしまった・・・泥火山の汚泥に足をとられた経験をお持ちの方(そんな人いないか!)は判ると思いますが、泥にはまった足はそう簡単に抜き出すことはできません。はまった足がどんどん泥に沈んでいく・・・・
この時点で、最悪の状況を想像していました。抜け出せないなら脚を切断しなければダメだが、そんなこと自分一人ではできないな、このまま泥に沈んで誰にも気づかれず死んでいくのかなと悲観的な想像がどんどん浮かんでくる・・・ただ、気持ちは意外と冷静でしたよ。
 
と、ここでバイクが1台通りかかる。どうも、シドアルジョの観光を請け負うバイクタクシー(オジェッ)のようです。彼は僕にすぐ気づいてくれて、私の脚を引っ張り上げてくれた。助かった~!

これは引っ張り上げられた時の写真。脚は意外に埋まっておらず、足首くらいまでしか汚れていませんね。まあ、この程度で済んで良かったです。
 
オジェッのお兄さんは、近くのモスクにある洗い場にまで私を乗せて行ってくれた。とても優しい(大げさですが)命の恩人です。ただ彼は観光ドライバー、こうして助けてもらった以上、彼のバイクに乗って噴出現場まで行かなければ義理が立ちませんね。彼にガイド代を(相当ボッタくられても仕方がないなと思い)恐るおそる尋ねたところ、Rp30000(約240円)でイイとのこと。僕はもっと払う気でいたのに、どこまで優しいんだよ、お兄さん!
 

泥水噴出現場にオジェッで向かう

シドアルジョ見学の再開です。お兄さんはかなり英語が話せるため、被害状況について詳しく聞くことができる。お兄さんの家は泥水に埋もれてしまい、その場所すら今では判らないこと、家族で現在も行方不明の者がいること、そういった話を特別な感情をまじえずに淡々と話す。そう、怒りや悲しみの感情を見せずに淡々と話す様子に、かえって悲しく思えました。もしかしたら事故の記憶を何とか消化しようと努めた結果、主観的な感情を排除してしまったのではと想像がつきます。
 

バイクで来れるのはここまで。そこからは歩いて噴出現場に向かいます。お兄さんが腕で指す方向に、事故以前まで生活をしていた集落があるとのこと。こうした説明をしながらも、うつろで淡々とした表情は変わらなかった。
 

噴出口に一番近い場所に来ました。硫黄の臭いでしょうか?異臭が辺り一面に立ち込めており、ここに長居はできませんでした。
 
まさしく墓標となる十字架が立つ場所に立つことを促され記念の写真を撮ると、お兄さんは持っていたバックからDVDや写真集をおもむろに取りだす。どうやら当時の事故の様子を克明に記録したものだが、それを買ってくれとは言われなかったのが、かえって不思議。おそらく手持ち分のDVDが数少なくなってきたのでしょう、彼としてはそうした記録を自分の手元に残しておきたい気持ちがあったのだと、勝手に想像してみます。
 

シドアルジョ泥土流出事故・・・ここでは敢えて事件として表記します

噴出現場を後にし、バスが走る道に戻る。バイクから降ろされた場所には、この事故をイメージしたオブジェがつくられていました。いまだに泥の下に埋もれているかもしれない人々の断末魔が聞こえてきそうなオブジェ、これをずっと見続けることはできません。このオブジェの前でお兄さんと固い握手を交わし、私は堤防を降りたのでした。


<スポンサーリンク>