バリ島民の約9割を占めるバリ・ヒンドゥ教徒民にとって、ガベンと呼ばれる葬式は人生最大のイベントと呼ぶにふさわしい儀式。このガベンは、観光客にも公開されており、大規模な祭礼とともに火葬式が行われる様子は、葬式というネガティブなイメージからはかけ離れた、壮大な演劇を見ているかのような印象を持ちます。

 
私はこのガベンを、1991年、2001年、2014年と三度にわたり見学をしました。時代の変遷と申しましょうか、年を追うごとにガベンは大規模となり、ますます多くの観光客を巻き込む祭礼イベントとなりました。今回の記事では、かなり昔ではありますが、1991年と2001年に見たガベンの様子を紹介。このたった10年の歳月の間に、とても大きな変化が生じていることをご覧いただけると思います。そして、次回記事にはなりますが2014年のガベンはさらにイベント色を強めた華麗な祭礼に変貌、しかも時代はスマホ&デジカメ時代と変遷したことでより多くの映像をもって紹介します。
 

ガベンに関する多少の解説

バリ島の火葬でまず目を引くものは遺体を入れる棺でしょう。

これは2014年のガベン当日に撮影したものですが、一般的には、ヒンドゥで聖なる動物として扱われる牛をモチーフにした棺が大多数を占めます。ただ、ヒンドゥを特徴づける制度として階級があり、シュードラ層では牛を用いずに魚を模した棺もよくあるとのこと。
 

こちらはまだ葬祭が始まる前の様子(2014年撮影)。葬儀の際は、このメルと呼ばれる塔を神輿に担ぎながら棺と一緒に火葬会場まで練り歩く。その際、けっこう規模が大きな楽団を引き連れるため、とても壮麗で賑やかな葬列となることが想像つくと思います。
 
しかも、昨今の特徴としては、いくつもの家族の葬祭を一度のガベンで行うことが一般的。つまり、ガベン当日はいくつもの葬列が延々と街なかを練り歩く、まさに”祭り”と言って差し支えない状況が生まれます。
 

1991年当時の火葬式ガベン

1991年当時はフィルムカメラでして、写真を撮るコストは1枚当たり100円くらい(フィルム代+現像代で24枚撮り2500円くらい)かかりました、また当時は学生で予算に余裕がなく・・・と言い訳を最初に書きましたが、1991年に撮影したガベンはこの2枚!ちなみに撮影場所はバリ島ウブドの中心街にほど近い火葬場。

なんだよ、たった2枚かよと自分でも思いますが・・・。ただ、この写真からもけっこう面白いことが判ります。まず第一に、私もよく覚えていますが、遺体の下にいかにも燃えそうな乾いた草木を敷いて、それに直接火をつけていました。これ、今ではおそらくあり得ない光景です。後ほど紹介しますが、これでは火力が弱いため遺体がなかなか焼けませんよね。時の変遷とともに、ガスバーナーとなり、現在では火力のより強いもので爆発と表現してもよい方法を用いる。う~ん、時代の流れ。
 
そして2点目、これも強烈ですが、当時は遺体は棺から外に出され、衆人が看視する中で燃やされていました。つまり・・・私も目撃したが、焼けた手などが下にボトッと焼け落ちる様子が判るのです・・・Σ(・□・;)
 

2001年当時の火葬式ガベン

次は10年後の2001年9月8日、あの911の大惨事が発生する3日前です。場所はウブドよりはクタに近い場所。ただこの10年でガベンは大きく変化。規模が何よりもスゴイ!ニュピ(バリ新年)で使われそうなオゴボゴ(山車)が大挙出動し、楽団の演奏や舞踏も行われ、まるで王女のような装いの女の子が神輿に担がれていました。

葬列が出発の準備をしています。皆さんにこやかに微笑んでおり、これから火葬が行われるなど想像もできません。
 

メル(塔)に供物を入れる様子。悲壮感はまったくないですね。
 

さあ、お祭りですよ(?)。この時、僕は葬式だということをすっかり忘れてしまい、(写真とは別の)見物していた女の子たちと冗談を言い合う感じとなる。いやぁ、さすが南国バリ島、やっぱり祭りは華やかだぜ!明るいぜ!
 

山車のお通りじゃあ~!神輿を担ぎながら、時にはそれを高々と持ち上げたり揺らしたりなど見せ場を作ります。山車に乗る人は振り落とされないように必死にしがみつく、その光景に周囲から笑いが起きる。これ、葬式だよ!
 

山車について行くとそこは火葬場、皆さん魅せてくれる。一緒に僕も踊りたいけれど、まあ部外者なので今回は遠慮します。こうして演奏や踊りを見ているとき、参列している方が一斉に席を立った。いよいよ火葬の火入れが行われます。
 

ガスバーナーで一斉に火を入れた。火力が強く強烈な炎が燃え盛っているため、遺体の様子はほとんど判らなかった。ただ、この時ばかりは祭りの浮かれた気分が弾き飛び、辺りは重たい空気に包まれました。
 
 
ここまで1991年と2001年のバリ火葬式の様子を紹介しましたが、10年間の歳月による変化はとても大きく、まさに時代が違うと感じました。考えてみればインドネシアでは1998年まで30年以上にもわたるスハルト政権による独裁があり、文化的には多くの制限がなされ硬直化していた時期。スハルト政権崩壊後は政治的制約がいっきに崩れ、文化が百花繚乱的に華開き、葬祭すらもイベント化していったのでしょう。そして2014年、情報化社会がさらに進み、インドネシア国民の多数がスマホを片手にツイッターやフェイスブックに投稿を始めた時代、葬祭というイベントはまさに人に見せるものとして”映え”すらも意識せざるを得ない状況となるのでした。次回記事では”映え”時代に突入し、ますます大規模なイベントと化した壮麗な火葬式ガベンを紹介します。


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