2003年当時のルアンパバーン、その古き良き時代について前回記事で紹介しましたが、今回は続編。ルアンパバーンでチャーターしたボートでメコン川を遡上すること約25km、郊外のデスティネーションとして真っ先に候補に挙がる「パークウー洞窟」の訪問記、道中で立ち寄る村々には現在のルアンパバーン近郊ではおそらく失われた素朴で懐かしい農村の姿がありました。

 

ルアンパバーンに来たら、どこを巡るか?世界遺産の寺院群よりメコンの川散策でしょ!

現在では世界的観光地として発展を遂げるルアンパバーン、この街に来る大半のツーリストの楽しみと言えば、早朝の托鉢や仏教寺院の散策、それに加え日本風に言えば古民家を改装したオシャレカフェで休憩し、コロニアルなプチホテルにオシャレ滞在をする・・・そんな感じでしょうか。ただ”オシャレ”と訴求すればするほどアラ(ギャップ!)が目立ってしまうのが、我が愛すべき東南アジア。日本の女性誌が一時ルアンパバーンを大きく取り上げても、オシャレ感度が高い日本人女性がリピートしてまで訪れることはなかった一方、中国人や韓国人にとっては琴線に触れるのでしょうか、リゾートファッションに身を包んだ勘違い女子が訪れる街となりました。
 
とまあ、少々ディスり気味に書いたのは、現在のルアンパバーンが私にとって妙にいやらしいスノッブな街に成り下がった状況を嘆いているから。10数年前のルアンパバーンはとても雰囲気のある、それはそれはステキな街でしたよ(こんな昔話を言うこと自体、老害ですね)。

とくにルアンパバーンの魅力はメコンの川べりにありました。上の写真は前回記事でも用いた2003年当時の川べりのカフェから河原に下りたときの光景。当時は観光客がほとんどいない閑静な寺院群を巡ることも楽しかったとは思いますが、一人旅にとって人との触れ合いがほとんど期待できない寺院散策はあまりに寂しすぎる!しかも、寺を何ヶ所も回ったところで、寺院建築や宗教学の研究者ならいざしらず、私などすぐに飽きてしまう。ここはメコン川を探索しに、パークウー洞窟まで船で行くことにします。
 

絶景夕陽の川べりからボートに乗り込む、出発早々すこし驚きの船旅

メコンに沈む夕陽に見とれたカフェ、その下には何隻もボートが停泊していたことをチェックしていた私は、翌朝ボート乗り場に赴く。そこには先客として珍しく日本人旅行者(一人旅の男性)がいたので、一緒にパークウー洞窟へ行くことにしました。こうしたクルーズで同行者がいることは、とても心強いモノ。当時は、ラオスではありませんがバンコクで言葉巧みに(大概は女性がらみの誘いを期待しているアホな男性諸氏!)チャオプラヤー川クルーズへと誘われ、川の中ほどまで来たところで「Hold Up!」と金品を脅し取られる案件が続発していた。ラオスで妙な心配はしていませんが、一人だとトラブル時に冷静さを失い問題をこじらせてしまうことが多々あるのですよ。仲間がいるからと言って、被害に遭う可能性がなくなるわけはありませんが、まぁ精神的にはベターなものです。
 

ボートが出発しすぐに立ち寄った場所は、川の中ほどにある「給油所」。そりゃ~ボートだって燃料がなければ動かないから給油することは判るが、日本の感覚では川に浮かんだガソリンスタンドというのは想像できない。当時も今もメコンは河川交通の要であることが判ります。
 

川の生活民を見ながらボートは進む。大きな網を広げる漁民以外に、鵜飼いのようなヒモで首を繋いだ鳥に魚を採らせていた方も途中で見かけました。
 

洞窟に至る前、素朴なモン族の住む村に上陸する

ボートは進み、出発からなんと2時間ほどは経過。さすがに腹が減ってきたのは、ボートの船頭も一緒。船頭がよく知っているという村に立ち寄ります。

上陸すると、ほとんど目にすることはない外国人を一目見るためでしょうか、続々と村人が集まってきます。しかも、子供どころか大人まで集まってくる始末。
 

船頭さんが知っているという、こちらのお宅にお邪魔し、たしかバナナなどのフルーツをいただく(他にお粥状のものを出してくれたが、暗い中どんな料理か全く判らなかったため手をつけず)。電気が通っていないためか室内は暗く、中の様子、例えば部屋の広さや区割り、所有している道具、炊事場の様子etc…判別不能。休憩を終えると、どこからか村人たちが自分たちの作品を並べているが、積極的に売ろうとすることはなかった。
 

私は表題に「モン族の村」と書いたが、実際にここに住むのがモン族かどうか確かめることはしていません。私の場合、エスニックカルチャーに対する関心が強く、過去にチベットを対象に研究をしていたことはあるが、東南アジアの状況はかなり難しいのでして・・・。まぁ子供の着るボロ衣装のデザインはモン族のものでしょう。間違っていたら……(+_+)
 

 
ちなみにこの村では家畜をよく持っているようでして。さすがに食用のブーちゃんをさばく光景には巡り合えませんでしたが(過去には、たまの外国人来訪を歓迎してか鶏や豚をさばいてもらった経験がアリ)、とりあえず歓迎を受けたことは確かなようでした。
 

25kmの距離にどれほどの時間がかかるの?パークウー洞窟にやっと上陸

村に別れを告げ再びボートに。もうすでに2時間以上は船に乗っているのにまだ着かないものかと思いながら1時間以上は経過、やっとパークウー洞窟が見えてきました。

川べりの岸壁に巨大な洞窟が口を開けていることに唖然。う~ん、期待が持てます。
 

河原に上陸。メコンの眺望はやはり美しい!
 

本日の目的地、パークウー洞窟にやっと到着。常時、観光客が来るわけではないようで、門番さんを探し出して門を開けてもらう。
 

洞窟内にはすさまじい仏像が安置されており、想像を超えた光景に唖然としたはず(!)。が、しかし、今(2019年11月)に当時のことを回想すると、実は洞窟に関して記憶があまりない。う、残念っす!インパクトある名所旧跡より人との出会いの方がよほど印象に残っている。16年経過した今、ハッキリと覚えていることは、いつまでも目的地にたどり着かず不安に感じた船旅や、暗闇の中で出された得体の知れない食べ物、モンの子供たちの屈託のない笑顔やジャレツク姿・・・。まぁ旅ってそんなもんでしょう。
 

帰路につくボートは速かった!

パークウー洞窟からの戻りは川下に向かうためか、とにかく速かったことを覚えている。途中では「ラオラーオ」(ラオスの伝統的な米焼酎)造りで有名な村に立ち寄り、写真も撮るが、この村の記憶はかなり乏しいものです。ちなみに写真は下の通り。

ここは『地球の歩き方』最新版(2019-2020年版)にも記述がある「バーン・サーンハイ」という村かもしれません。ただ、『歩き方』には「観光化が進み、酒よりも織物やおみやげを売る店の方が目立つ」と記されているが、そんな様子は全く記憶になく、ただただ田舎の蒸留所を見ただけ。ちなみに、この村で覚えていることはと言えば・・・

こちらのお坊さんが打ち鳴らした金属音の響き。振り向いてみれば、ひょっとするとベトナム戦争時に、米軍が落とした焼夷弾の残骸?現在は寺の鐘に転用、夕刻を知らせる甲高い鐘の音が、私たちに早く街(ルアンパバーン)に戻れと催促しているようでした。


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