開平で最も奇抜な建築群を見るなら蜆岡(錦江里)へGO!
ここまで開平出身の華僑マネーによりつくられた異形の望楼建築(碉楼、廬)を紹介しました。下の写真、自力村や馬降龍でもう十分、腹一杯だよと多くの方は思うかもしれないが・・・
私はこんなものでは満足しない。インパクトが足りないのじゃ~!
ムカ~シ昔に話は飛ぶと、2000年代初頭の旅行ブログ全盛期(?)に私が見た開平の記事で、まさに飛び立とうとする巨大ロボットのような装いの異様としか言えない建築が紹介されていた。ブログ執筆者により勝手に名付けられていた「ロボット楼」のインパクトに雷で打たれた状態となった私、白黒の家庭用プリンターで即座に印刷したのでした。ただ、このブログ自体はその後見つけることができず、建物があった詳細な場所などは判らずじまい、ブログ作成者にコンタクトを取ることなど到底叶わぬ夢となる・・・。
時は経ち2000年代後半、開平をテーマとしたガイドブック『広州・開平と広東省』を手に取った時、再び電流が走る。あの「ロボット楼」が写真付きで紹介されているではないですか(ただ写真のインパクトは、前に見たブログの方が遥かに上)。中堅楼という名前を持つこの碉楼は蜆岡鎮に所在することが判るが、蜆岡と言えば開平イチのプロポーションの良さと話題の瑞石楼が建つ錦江里(集落)がある町。これは一緒に巡るしかないぜとばかり、蜆岡を目指すことにしました。
ちなみに蜆岡鎮は155の碉楼が現存し、目下、開平で4番目に多い鎮。そのうち錦江里は風光明媚な上、瑞石楼や昇峰楼など華麗なプロポーションを持つ碉楼が多く、村全体が世界遺産に指定されています。
当初の予定では馬降龍と一緒にまわろうと考えていた蜆岡だが、変更したことは前回の記事で報告した通り。改めて開平市街地にある義祠バスターミナル(汽車站)からバスで移動、蜆岡汽車站でバイクタクシーをチャーターする。
バイクを走らせ10分もしないうちに「ほれ、ここだろ」といった感じで停まる。これだよ、これ!ロボット楼、いや中堅楼が眼前に立ちはだかるゼ~。無骨な四隅の円筒が光る無骨な姿は、マジンガー世代の感性にジャストミート。しかも中堅楼と記された銘板の上に謎の日の丸、見ようによっては上層階は日本の城郭デザイン、まさかの天守閣?
中堅楼の解説を少し加えると、蜆岡鎮東和村に建つ巨大な楼は、1918年に鉄筋コンクリートで建造される。1910年代になると、広州で「五羊泥」が大量に生産されセメントが大量に流通したことで、コンクリート造りの頑丈な碉楼が大量に出現したのでした。
例によって興奮気味の私に対し、同行の妻は冷めた視線を向ける。せっかく中堅楼が見えてきた所で、そばまで駆け寄ろうとバイタクドライバーをせっつくが、これ以上近くに行きたければ歩いて行けと言われてしまう。しかも、中堅楼の中に入ることはできないとも助言される。ならば仕方がない、妻に行こうと提案するも当然ながら拒絶。う~ん、僕も一人で草やぶの中を歩くかもしれないのは嫌だよぉ!ここで気を取り直す。例えば富士山だって離れて見るから美しいのであって、足下に入ったり登ったりしたら、あの優雅な姿は拝むことができない。やはりこのインパクト大の「ロボット楼」は、少し離れた位置から眺めるのがちょうど良いのです・・・(!?)。
中堅楼の見学を終え再びバイタクに乗車、いよいよ開平観光のハイライトと言うべき錦江里に向かう。そして、促されるままに降り立った先の、眼前に広がる光景に声を失う。
石造りのいかにも趣のある集落もいいが、その先にある巨大かつ優雅な碉楼がその他すべてのインパクトを打ち消してしまった。私が開平で見てきた碉楼のうち、もっとも芸術的なセンスに優れたデザインだと思う。この碉楼の名は「瑞石楼」、高さ28mの9階建ての建物は開平望楼の「第1楼」と言われるほど、素晴らしいぜ!
この瑞石楼は入場もできるとのこと、石畳が敷かれた錦江里の集落内をゆっくり散策すると、瑞石楼がまさに目の前に登場。あまりの大きさに圧倒されると共に、改めてバルコニーの意匠がいかに凝っているか!まさかヨーロッパの迷宮都市をぶらついていると錯覚……私はしませんでした。
お約束とおり瑞石楼内に潜入する。1階から6階までは黄一族の居間や寝室などの生活空間が広がるが、いずれも質素な造り。もしかしたら文革期に持ち去られてしまったかもしれません。特筆すべきは7階以上のスペース。7階には祭礼用、8階は守衛用、そして9階はサーチライトや鐘などが設置された空間となっています。さて上の写真2枚目の「穴」、これは日本の城郭建築でもよく見られる敵の監視&武器穴だと思う。この瑞石楼が建てられたのは1923年、中華民国の成立後も社会はさらに混迷を極め無政府状態に陥った動乱の時代、我が身は自分で守るため様々な工夫が施されていたのです。
瑞石楼のバルコニーから見る錦江里の眺望もまたスバラシイ。2枚目の写真に映る建造物は、これも錦江里を代表する碉楼「昇峰楼」です。広州のフランス租界で診療所を開設した黄峰秀は、この開平に戻る際、フランス人建築家を招き1919年に昇峰楼を完成させたのでした。こちらは2階分に及ぶ巨大なベランダが特徴的で見る人が見ればトレビア~ンでしょうが、私にとっては少しインパクトに欠けるかな。
3日間にわたり、さんざん開平の望楼建築を見てきた私たち。妻は言うに及ばず私ですら、さすがに疲れてきた。開平での宿泊先「広視酒店」は確かに居心地は良いが、街なか自体の魅力に乏しい開平にいつまでも滞在するのは退屈でしかない。久々に香港の空気を吸いに行きたいなぁ、妻は絶対に嫌がるが……重慶大廈(チョンキンマンション)が僕のことを呼んでいるぜ!
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