クチャ(庫車)郊外をタクシーで巡った旅記録の続編です。今回は、キジル石窟(キジル千仏洞)、ヤルダン地形群、クズルガハ千仏洞、クズルガハ烽火台などを紹介。キジル石窟の「キジル」とは赤を意味するそうですが、赤岩が剥き出しの乾ききった大地に緑は見当たりません。シルクロード交易によって莫大な富をもたらされたことが、今や砂漠の荒野に還った廃墟の中では想像もつきません。

 
チャーターしたタクシーはとにかく速いはやい、常時110km/hくらいのスピードで飛ばしています。今日1日で何キロくらいの移動になるのか(おそらく300~400kmくらい?)、それを考えたら1日チャーターして400元は高くはありません。
 

キジル石窟(キジル千仏洞)に到着

やっと、駐車場に到着。ここがキジル石窟(克孜尔石窟)の入口なのでしょう。先ほどのスバシ故城では観光客は1人もいなかったのですが、こちらにはチラホラと訪問者が見えます。
 

キジル石窟について少々説明します

キジル石窟が造られたのは、古代仏教王国の亀茲国が統治していた3世紀の中頃から8世紀の間とされている。中国の仏教普及に多大な貢献をし、初代の三蔵法師として有名な鳩摩羅什(くまらじゅう)がこの地を訪問し、修業をした場所とも言われている。2014年には「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の一部として世界遺産に登録された
 

では、キジル石窟をご覧ください

入口から少し歩くと、庭園がつくられており、鳩摩羅什(くまらじゅう)の像が鎮座しています。バックには石窟の全景が見渡され、かなりの絶景です。ちなみに、この辺りだけ花が植えられているのはご愛敬。
 

周囲にはポプラ並木、ウイグル風情が味わえる一画ですね。
 

では、あの千仏洞がある石窟に向かって歩きましょう。
 

千仏洞の通路。石窟内は撮影禁止のため、内部の写真は掲載できませんが、かなり精細な仏教壁画が残されています。私たちが石窟内に入ると、係員がライトで壁画を照らし、中国語で説明をしてくれます。さほど難しい中国語ではなく、私でも難なく聞き取れました。
 

ヤルダン地形群

一通りキジル石窟の見学を終えて、再びタクシーに乗車。しばらく走行したところで、タクシーは停車します。え、ここ何もない場所だし、人の気配も全く感じないよ。まさか・・・変なこと起きないよね・・・など多少不安な気持ちになりましたが、タクシーのドライバーは「金字塔!金字塔!」(Jinzida:中国語でピラミッドの意味)と繰り返す。「ピラミッドを見て行きなさい」と言われても、ここエジプトじゃないよ。
 

タクシーを降りてよく見ると、「金字塔自然旅游区:雅丹地貌」(金字塔自然公園:ヤルダン地形)の掲示がある。え、ここって中国のピラミッドなの…とますます疑問が募ります。
 

ヤルダン地形とは?

wikipediaによると、ヤルダン地形とは、風や雨などによって地面の柔らかい部分が侵食されて、堅い岩部分が小山または堆積物のように数多く残る乾燥帯で、中央アジアなどによくみられる地形とのこと。私は地学は好きですが、地質マニアではないので、このヤルダンの価値、よく判らないです。
 

では、ヤルダン地形群をご覧ください

確かに、広大な大地が浸食されて、小さな丘がいくつも残っています。
 

水が流れていたであろう枯れ川が深い谷をつくっている。油断をしていると下に落ちそうです。
 

クズルガハ千仏洞とクズルガハ烽火台
クズルガハ千仏洞

こちらにやっと着いたのはいいが、遺跡のスタッフやガイドが全く見当たらない。千仏洞がある石窟まではかなり歩きそうだし、スタッフなしで行くのはかなり不安がある。石窟見学はキジルでかなり満足していたので、こちらはスルーするのでした。
 

クズルガハ烽火台

ドライバーさんの案内で、すぐ近くにある「クズルガハ烽火台」へ。こちらは古代の「のろし」、ここで火や煙をたいて合図をおくったのですね。かなり巨大な台でした。
 
 
クチャ(庫車)の旅行記事はこれで終わり。次回はコルラ(庫尔勒)へ向かいます。


<スポンサーリンク>