龍勝を後にし、その日のうちに三江へ向かいました。この三江はトン族自治県に指定されており、トン族独特の風俗・習慣が見られるエリアとして、近年人気のエリアです。高速鉄道開通後には三江エリアの観光開発が大きく進み、とくに程陽という村は観光バスが乗り付けるような状況。
 
しかし発展著しい三江エリアといえども、観光客をほとんど迎えることなく、ひっそりと佇む村があります。今回は、三江から近郊バスで手軽に行ける「独同*」「巴団*」を紹介します。これらの村々は2000年に引き続き、10数年ぶりの訪問、どの程度の変化があったのか、当時の写真と見比べてみます。
 *「同」は実際には「山へん+同」と書きます。
 *「巴」は実際には「山かんむり+巴」と書きます。
 

三江からのバス移動は注意が必要。バスターミナルが2つあります

三江の市街地はさほど大きくはないので、十分に歩いて歩き回れます。ただ、市街地は河により東西に分断されており、東岸・西岸のそれぞれにバスターミナルがあるので、注意が必要。上記写真は、三江市街地を東西に分断する河と橋。
桂林や柳州など広西の大都市を発着するバスは、東岸側のバスターミナルから発着することが多く、龍勝からのバスもこちらを利用することになります。これから紹介する独同方面へのバスは、西岸側のバスターミナルから発着、他に、程陽・林渓など近郊の街へ向かうバスは西岸側から発着すると考えて良いと思います。両ターミナル間は、歩いて10分くらい。三江の街をゆっくり散歩しながら移動するのもイイですね。
 
さて、三江から独同までのバスは比較的本数が多く、1時間に1~2本はあるはず。この独同はバスの終着点で、途中に巴団や華練を通ります。これらの集落を全てまわっても三江から日帰りが十分に可能、ローカルムード漂うトン族の建築群を探索するのに、うってつけのコースだと思います。
 

トン族のアイデンティティの源泉、独自の建築群について少々解説します

トン族独特の建築群として挙げられるのは、「鼓楼」と「風雨橋(花橋)」。鼓楼は、釘を使わずに杉材で建てたもので、集会場や祭りの場として使われます。貴州省肇興の鼓楼がとくに著名で、私も今回の旅行で訪問しました。風雨橋は、川の上に木造の屋根をつけた橋で、やはりトン族の村に多く見られます。三江郊外にある程陽永済橋がとくに著名で、世界遺産への申請もされている。ただ、いずれも近年の急激な観光化で、私にとっては・・・(少々不満!)な場所なのですが。
 

独同の街はローカル色溢れる市場が見どころ

三江から独同まではバスで1時間半ほど、2012年当時のバス料金は11元でした。
 

2000年、訪問時の独同

独同の街に入り、一番最初に目に入ったのは大きな鼓楼。この鼓楼こそ、トン族を特徴づける建築です。鼓楼内部を見学。何層にもそびえる木造の塔ですが、釘をいっさい使わずにつくりあげたとしたら驚異的ですね。
 

時代劇にでてきそうな光景です。
 

2012年の独同。鼓楼は見つからず、大きな市場街に、当時の面影は見当たらず

独同に近づくと、あまりにも人出が多くバスがなかなか前に進みません。仕方なく降りると、沿道では大きな市が開かれていました。
 

精肉市場では、その場で動物たちをさばいており・・・写真では公開できません。
 

こうした市の光景は2000年当時は全く見ていません。独同の街は比較的大きく、2000年とは別の場所で降りてしまったのでしょう。何といってもバスは、市の手前でほとんど進まなくなったのだから。市に伴侶を待たせ、一人で先の方へ歩くと、2000年当時を想起させるような光景が広がる。しかし、鼓楼を見つけ出すことはできませんでした。
 

巴団へ向かう。巴団の風雨橋は相変わらず美しい姿をとどめる

巴団の風雨橋は1896年~1910年の間に建造された、かなり古い形をとどめる風雨橋です。2000年に訪問する前、ネットでこの巴団の風雨橋について検索しており、確か「人と獣で通路が分かれている」という表現に興味を惹かれた覚えがあります。この記事を書く際「人獣分離」に関する日本語記事を見つけることはできませんでしたが、中国語サイトで「橋面人畜分行」という解説がありました。
 

2000年の巴団 風雨橋

美しい外観を保つ風雨橋、通路が左右に分離されていたような記憶があります。通りがかりの老人2~3人に「人们和牛馬分開通过吗?」(一応、人と牛や馬が分かれて通りますか?と聞いたつもり)など適当な中国語で尋ねたところ、「不知道、不知道」(知らない、知らない)と答えられました。
 

2012年 巴団の風雨橋。外観はほとんど変わらないが・・・

巴団の風雨橋は、2000年とほとんど変わらない外観を保っています。3つの櫓もありますよね。橋を渡ってみましょう・・・お気づきになりましたか?橋内部が広がり、光が入り明るい。2000年当時は人畜を分けていたため、それぞれが仕切られ一方の通路は狭かったのですが、2012年時点では内部の仕切りが取り払われ、その分、通路が広がったのでしょう。「人畜分離」の機能的な構造が失われたのは・・・時代の変化ですかね。
 

巴団の集落を歩いてみます(2012年)

 

鼓楼がありました。中は、老人たちの憩いの場です。
 
 
この日帰りバス旅、まだまだ続きます。次回記事では華練と八協を紹介。集落の趣きは2000年と2012年で変わりませんが、近代化による影響は、今回の独同や巴団よりも大きいと感じました。


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