前回記事に引き続き、広西壮族自治区・三江の近郊にあるトン族の伝統集落、華練と八協を紹介します。三江エリアは、高速鉄道が開通したことにより多くの街で大規模な観光開発がされていますが、そんな中、開発からは取り残された伝統集落が、探せばまだまだあります。とくに、前回報告した独同*・巴団*や、今回紹介する華練などは、三江から容易にバスでアクセスできるのにも関わらず、中国人を含めた観光客が皆無で、古い姿を留めたトン族の伝統建造物(鼓楼、風雨橋)を数多く見ることができるおススメの場所。華練については2000年に続き2012年に2度目の訪問、八協は2000年に訪問し2012年は訪れていません。今回も2000年訪問時の写真と比較しながら報告します。
 *「同」は実際には「山へん+同」と書きます。
 *「巴」は実際には「山かんむり+巴」と書きます。
 

華練:2000年と2012年訪問時を比較

華練は、巴団よりは大きな集落です。ただ、木の部族とも言われるトン族の集落だけあって2000年訪問時では家並みの大部分が古い木造製でした。ところが、今回の訪問では、多くの建物がレンガやコンクリート製に置き換わっていた。ただ、鼓楼や風雨橋は古い姿を留めていました。
 

2000年訪問時の華練

車から降りると、なぜか子供たちの出迎えがある。確かに日本人などの外国人が来ることは少ないだろうが、なぜ歓迎団がいるのか理解不能でした。子供たちに尋ねたところ、もうすぐ”偉い方”がここを通るらしい。え、僕が偉い人なんて妙な情報が伝わっているなぁ思っていると、すぐに何台にも連なった車列が通り過ぎました。大人の方に聞いたところ、中国衛生部(日本の厚労省に当たる)視察団一行とのこと。
 

視察団が通り過ぎると沿道は普段の光景に戻ります。ここでは、人よりも牛の方が大きな顔をして通行します。中国農村部では、動物の解体などを人の目から隠すことはしません。
 

車道からは、見事な風雨橋が目に飛び込みます。この風雨橋を渡ると華練の集落となります。
 

車道から見た、対岸の華練集落。まさしく木の村ですね。
 

華練の集落をしばらく歩くと、立派な鼓楼がありました。八層の見事なつくり。鼓楼の前は子供たちの憩いの場となっていました。
 

2012年訪問時の華練

では、話しをより現在に近づけましょう。2012年時点の華練は当時と比べさほどの変化はありません。
 

バスを降りると、相変わらず豚の解体作業を行っている。こうした光景はたった10年では変わりませんね。露店の床屋では髪を切る子供の姿が。
 

村の子供たちは人懐っこく、鶏をもって近づいてくる。こちらが怖がって逃げるふりをすると追いかけてきます。
 

プロポーションの良い風雨橋は2000年と変わりがありません。内部の構造も、そのままです。
 

橋の対岸に見える華練の集落。コンクリートやレンガ製の建物がメインとなっています。大きな鼓楼の姿も確認できました。
 

鼓楼に到着。隣の建物に圧倒され、2000年当時よりなにか小さくなった気がしますが・・・当時の姿が残っているのでヨシとします。伝統劇の舞台があるが、もしかしたら最近に建て替えられたものかもしれません。
 

子供たちが、モデルガンで撃ち合っていて、なにげに怖い。木造の家にもパラボラアンテナがついており、どこかチグハグな光景。
 

集落の中では、酒造りの仕込みが行われていました。
 

お母さんと子供たち。そういえば、2000年訪問時は、車道と集落は風雨橋で繋がっており、集落内には車が入り込めなかったと記憶していたが、2012年時点では、すでに集落内に直接乗り入れられる道ができていた様子。
 

八協:2000年当時の姿

2012年の旅行では八協を訪れることはありませんでした。単純に、独同・巴団・華練を訪問し疲れてしまったからだけではありません。実は、2000年に訪れた八協など伝統的なトン族集落の光景が脳裏に強く残り、2012年、再訪をしようと決めたのでした。歳月が経過し、私が以前に見たトン族の伝統集落の変化に少なからず衝撃を受けました。昔の美しかった姿が大きく変化してしまっているのは怖い、そこで八協で降りるのは飛ばしてしまったのかもしれません。
 

車道と集落を結ぶ風雨橋。地元の若い女性が荷物を肩に抱え通り過ぎます。彼女をモデルに写真を撮ると、その後も村の中までついて来てくれました。
 

八協の集落内には小さな風雨橋があります。ただ他に見所はあまりないのか、家の壁には文革時代の毛沢東思想の学習を奨励するスローガンが消されずに残っていた点が目を引く程度。歩き疲れた私がしばらく座りだすと、お姉さんもすぐそばに座ってくれるが、ただねぇいかんせん話しが通じない。私自身、中国語(普通話)には少なからず自信を持っており一所懸命に話しかけるが、そうした問いかけにニコニコした表情を見せてくれるだけのお姉さん。ただ、こんなことこそ、いつまでも記憶に残る旅の思い出となるのでした。


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