肇興での滞在を終え、私たちはバスに乗り貴州省従江へ向かいました。従江からほど近い芭沙という村落は、世界最後の「銃士部落」とキャッチコピーがついており、少なからず興味を抱いていました。しかし、「俺たち三銃士!」なんてジャッキーチェンのセリフをみやぞんがギャグにしていましたが・・・、この現代に銃士ですか?にわかに信じがたいですよね。
 
そもそも銃士って何?ということで、少々説明を加えます。銃士とは近代初期に存在したマスケット銃で武装した歩兵のことで、16~19世紀ごろに活躍しました。日本では1542年の鉄砲伝来以降に使用された種子島銃(火縄銃)による部隊が有名ですよね。このマスケット銃、中国では「鳥銃」と呼ばれていますが、この現代においてマスケット銃を用いた集団が存在すること自体、驚き。なんせ日本で例えれば、織田信長・徳川家康vs武田勝頼の死闘「長篠の戦い」で活躍したような、火縄銃部隊が現代に存在するなんて・・・と、いろいろ連想が湧いてきました。
 

さて、この芭沙でなぜ銃士が現存するのか?もともと、この村はミャオ族の方々が住む伝統的な集落で、長らく漢族による支配を拒んできました。漢族に対抗するために、男性は14歳になると自ら銃を制作し使用するようになります。現在では、当然この村も中国政府の管理下にありますが、村人は頑なに銃を手放すことなく、自らのアイデンティティの象徴として銃を持ち続けてきました。こうしたカルチャーに中国政府は目をつけ、中国最後の銃士村として宣伝するようになります。
 
私たちがこの芭沙を訪れたのは2012年で、大規模な観光開発がされる直前の時期でした。入村料が徴収されることはなく、大げさなショーを見ることもできませんでしたが、素朴な村人たちの伝統的な生活を目の当たりにして感銘を受けました。しかも普通話(北京語)を理解する村人はほとんどいなく、私たちを案内してくれた方(銃士!)の手助けがなければ、村を安心して歩くことすら躊躇するような雰囲気。どこか外部の者を拒むオーラがそこかしこに漂っていました。しかし、銃士の方が通訳しながら挨拶言葉などを聞きだすうちに、どこか打ち解けていき、次第に写真などを撮影することが可能になったことを今でも鮮明に覚えています。この村が今や一大観光地になったこと・・・まぁあまりに速い時代の流れに驚きです。
 

芭沙への行き方

私たちは従江の街から往きはタクシー(軽ワゴン車のチャーター)で行きました。料金は1台30元。2012年時点でのデータなので、現在はもう少し料金は上がっているでしょうが、さほど高い料金ではありません。ちなみに帰りは乗合のワゴン車が村の入口に待ち構えていて、1人10元で従江に戻ってきました。
 

芭沙の様子を見ていきましょう

村に入ると、いきなり広場があるが、だだっ広い舞台だけではただ寂しいだけ。着いたときには誰もいなかったが、しばらくすると1人のオヤジが現れる。彼こそ、この村の銃士らしく、一所懸命に銃を持つ自らの姿をアピールする。
 

彼の後姿。銃を担ぐ以外にも、短刀や鎌を持っていることが判ります。彼がこの村のガイドを請け負うとのことで、料金を聞くと1人10元でイイと言う。これはケッコウ安いんじゃないっということで、彼に村を案内してもらいました。
 

ときどき立ち止まり説明をしながら、どんどん坂道を上って行きます。こちらの棚では作物を干す、植えている作物は米以外に雑穀が多い、ほぼ自給自足の生活をしていることなどを、少々訛りのキツイ北京語で説明してくれました。
 

村々を見下ろしながら歩いていると、大きな空き地に出ました。こちらの空き地は、彼ら芭沙の男たちにとっては重要な場所で、銃の扱い方を学んだり試射を行う場所とのこと。
 

芭沙の村人たちと交流をする

案内の男性と歩いている間、何人かの女性とすれ違ったが、こちらから簡単な挨拶をしても誰一人として返事はありませんでした。案内の彼に聞くと、この村の女性たちの多くは村から外に出たことがなく、普通話(北京語)は理解しないとのこと。とにかく、生涯、村の中だけに留まるため、外部の言葉を覚える必要はないとの返答でした。これは驚き、2012年と言えば現代ですよ!しかも、数年後に高速鉄道が開通する従江の街から車で20分ほどしか離れていないのに・・・。ちなみに従江は、やや没個性的な印象を受けましたが、現代的な市民生活をおくっている他の中国の地方都市と変わり映えがしない街です。
 
また、案内の銃士の方以外に成人男性と会うことがなかった。これについて質問をしそびれてしまったため、その理由は判りませんが、私の憶測では男性は出稼ぎや学校に出ているのかもしれない・・・とすると、男性は外部と十分に触れる機会が多いが、女性は村内部に閉じ込めていることになります。いずれにせよ、真相は判りません。
 

はじめのうちは声をかけたりカメラを向けると、女性たちはそっぽを向いてしまい、こちらを無視する態度でした。
 

髪の結い方が非常に個性的です。以前このブログでも紹介した「龍勝」の方たちの長髪を思い出しました。
 

案内の銃士が私たちのことを紹介してくれるうちに、硬い雰囲気が次第に和らいできました。実際のところ、彼が何と言っていたか判りませんが、写真の要求にも応えてくれるようになります。
 

極めつけは、やはりお子さんですね。赤ちゃんたちとじゃれ合っているうちに、打ち解けてきたようです。しかし、この村では赤ちゃんは籠の中に入れて面倒を見ているのですね。
 

 

銃士のお宅に招かれる

案内の銃士がそろそろ行こうかという素振を見せるので、名残惜しいなと思いながらこの場を後にしました。次はどこを案内してくれるのかなと考えていたら、銃士のお宅に入って行きました。
 

明かりはなく中はかろうじて判別できる程度、糠で野菜を煮ているようでした。熱い茶をごちそうになりながら芭沙で過ごした1日を思い返し、あまりにも現実感がない光景に思わず震えてしまいました。


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