私が元陽に来た目的は、ハニ族やイ族が居住する伝統的な村落やエスニック風情が満載の定期市(集市)を巡ることです。ただ、今回の旅行は私一人ではなく、どうしても妻の希望も叶えなければ成立しない!まぁ元陽を訪れる大半の方の目的は、あの巨大で美しい棚田(梯田)を巡ることでしょう。実は元陽近隣には巨大棚田が方々で見られ、例えばバスで建水~元陽間を移動するだけでも突然に大規模な棚田が出現し度肝を抜かれたりします。
 
実はあまり気乗りのしない棚田観光。私にとってその大きな理由は、早起きしなければいけないこと。昨今はホームページやSNSでアップされることも多い美しい棚田の写真、あれって大部分が日の出の光景なのですよ。そう、ひ・の・で。プロ写真家でもない私は(当時はそんな言葉はなかったが)”映え”には興味がないし、いくら雲南省とは言いながら標高の高い元陽の朝はサムイしネムイ。しかも、皆さんがイイ写真を撮る時期は決まって”冬”、一方、私が訪れた9月はすっきり晴れ渡ることが少ない季節。こんなオフシーズンに早起きをして待ち構えていても、イイ写真が撮れる確率は低いに決まっている。でもね、今回は妻が同行している手前、そんなことを言ってられない。問答無用のまま、一日を費やし棚田を巡りました。
 

さて、ここで3ヶ所の評価を先に述べてしまいましょう。夜明け前に車をチャーターして向かった多依樹と覇達は可も不可もなく、ある意味で事前に私が予想した通りの結果。かえってオモシロかったのは老虎嘴(孟品)で、村人に案内されながら村落を縦横無尽に歩き回り、素朴な生活の一端に触れたことは貴重な体験となりました。
 

9月の早朝、棚田は予想通りの微妙な光景だった

朝5:00、妻が私に内緒でセットした時計がウルサイ音を立てる。起きてしまったからには仕方がないが、こんな時間に棚田を巡る交通手段はあるのかなぁと惚けた口調で妻に言うと、なんとホテルの玄関前広場には何台もの車が停まっていた。元陽新街は、市場への商品搬入のため朝早い時間から人々がせわしなく活動していたのです。「多依樹と覇達を巡りたい」と停車中のドライバーと交渉をすると、意外に安い金額が返ってくる。200元程度は仕方ないかなと思っていたら何と50元、当然、往復の代金です。朝からやる気の出なかった私だったが、この値段なら俄然燃えてくるぜ。レッツゴー棚田!
 

多依樹の冴えない光景に、ハイ次!

40~50分ほど走りいきなり降ろされた場所、どうやら多依樹のようです。実は私が撮影した場所からさらに下の方には特設された展望スペースがあるが、そこは有料スペースの様子。三脚を立て一眼レフのレンズを伸ばした中国人カメラマンが、シャッターチャンスを狙っていました。ただねぇ、どう素人目に見ても、この日は天候が良くないんじゃない。この場で彼らと一緒に時間を潰せるほど、私はタフではない。やや興ざめした気分で、次の目的地「覇達」に向かいました。
 

覇達の広大な光景に心癒されてしまう

多依樹の光景に若干失望しながらも”まぁ交通費50元しか払っていないし、有名観光地などこんなもんでしょ”と納得はしていた私。”すぐホテルに戻ってまた寝ようっと”と完全に二度寝のことしか頭になかったが、ドライバーに促され降りた覇達は完全に度肝を抜かれた。モヤが出てしまってはいるが、見渡す限りどこまでも棚田・タナダ・たなだ…。まさに天空の梯子と呼ぶにふさわしい棚田を耕すハニ族のご苦労に想像を及ぼしていると、いつの間に時間が経ってしまう。当初、写真を2~3枚撮ればすぐに立ち去ろうと考えていた認識がとても甘く、それじゃこの景観をつくり上げたハニ族に申し訳が立たない。
 

しばらくこの景色に見とれていると、ドライバーは”もう1ヶ所イイ場所がある”と言って連れて行ってくれた場所がこの写真。こちらからはモヤが消え遠くの山が見えるが、私としては先の場所にもう少しいたかったなぁ。
 

老虎嘴のハニ族集落をひたすら歩く

早朝に勢力的に歩いたせいか、2度寝後に目覚めた時間は確か昼過ぎ。実はこの日は黄茅嶺というやや遠い街で定期市が行われる日だと思い、ホテルそばの広場へ車を探しに出向く。が、定期市自体は午前中がメインとのこと、向かうだけ無駄だと言われてしまう。まぁ定期市を外してしまった以上、脇に止まっていた小型バスに乗り、別の場所「老虎嘴」に行くことにします。
 

老虎嘴の棚田を見学していると、地元女性からガイドの申し出を受ける

バスから降りると、すぐにご覧のような景色が広がる。スバラシイ光景だが、これを見るだけなら物足りない(少々感覚が麻痺気味?)、下界に見える村々を巡りたいなと思っていると、都合の良いグッドタイミングでお声がかかる。私たち夫婦で20元出してくれたら村を案内するとのこと。イイじゃないですか!
 

私たちを案内してくれるお二人のハニ族女性。ツーリストを案内することが多いのでしょうか、刺繍製品の数々を持ち歩いていたが、私たちに買う気がないことを悟ると、いっさい営業攻勢をかけてこない。それよりも、村の中をよく見てもらいたいと言われ、少しホロッときます。
 

集落は割と新しい赤レンガ造りの建物が並ぶ、人の数より動物の方が多そう

坂道を下り彼女たちが住む村に入ってきました。山肌にへばりつくように建ち並ぶ家並みは意外に新しい建物が目立ち、勝手に古い木造建築(例えばトン族の集落)を想像していた私には拍子抜け。昨今はこうした観光による現金収入が得られることで、多少は余裕のある生活になったのでしょうか。どの家の軒先にもトウモロコシが吊るされている。
 

集落では人とすれ違うよりも、圧倒的に動物たちとすれ違う機会が多い。牛や豚などは身体が大きいこともあるが我が物顔で歩いており、私たちが彼らに道を譲ります。
 

共同洗濯場は村人たちの憩いの場、井戸端会議に花が咲きます

村の中心はこの共同洗濯場で、多くの女性たちがペチャクチャおしゃべりを交わしている。ただ、この村では人見知りの方ばかりなのか、私たちがうかがうと話しを止めてしまい、立ち去るとまた話しを始めていました。
 

こちらの立派なお宅にオジャマし、お茶をいただきます。私たち夫婦はいずれも中国語会話には自信がありますが、それは日本で学んだ北京語に限ったお話。私などビジネスで中国語を使っていたこともあり少しは自信があったが、”あなたの話す中国語はアナウンサーのようでムズカシイね”と言われてしまう。中国も辺境に来るとまだまだ北京語が通じにくい地域は多いのです。
 

家のそばでは子供たちがギッタンバッタン遊んでいた。そこらへんに転がる丸太を使ってシーソー遊び、いかにも楽しそうだなぁ。オヤジもシーソーに乗せてもらい、子供たちとしばらくギッタンバッタン……こんな遊び、私が子供の時(40うん年前)でさえ行ったことはアリマセン。使い古された言葉でしょうが”遠い郷愁を呼び起こされる”……なんて言ったら真っ赤な嘘。でも、私もこんな場所で幼少時代を過ごしたら、その後の人生はどう変わったのか?閉鎖された環境の中、自身の身の丈に合った小さな幸せを追求するのもアリではないでしょうか。大海を知らなければ、もともと知らなかったレベルの幸せに憧れたり、わざわざ求めることもないのですから。


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