元陽から6kmほど離れた郊外にある箐口は、ガイドブック『地球の歩き方 成都2020~21』で「人々は現代風の家屋に民族(ハニ族)の伝統的な様式を取り込んだ磨茹房で暮らす」民俗村(観光目的に開放された村)として紹介されています。しかし、私が訪れた2009年当時の箐口は、えっ現代風?観光?……という言葉が全く異次元の別世界に響く、ただただ素朴で貧しい村でした。
 
私たちを案内してくれた男性の家では”ご馳走”を振舞ってもらいましたが、それは村の木々や池で取れた”虫”を塩で漬けたもの、旅の百戦錬磨を名乗る私でさえ食べられるものではなかった。一度も映像をうつしだしたことがないテレビの前で、自慢のテレビを見せびらかす……そんな村でした。先に紹介した『地球の歩き方』の記述が仮に正しいのだとしたら、この10年の間にどれだけの変化が村に起きたのか、かえって興味を引くが、今回の記事では2009年当時の素朴で貧しい村の姿をあますことなく報告します。
 

ミニバンを降りて15分ほど、箐口村まで素朴な山道を歩く

元陽(新街)から箐口方面へ向かうバス(ミニバン)は多く、アクセスの足は容易に見つかる。ただ、どのバスも箐口を目的地としているものはなく、村の入口で降ろされるはず。そこから石が敷き詰められた感じの良い道を歩きます。

村に繋がる唯一の道は、子供たちも大人たちも動物たちも通る賑やかな道。どう見ても部外者である私たちに警戒心を示すものは誰もおらず、皆が一声かけて通り過ぎる。こうした村で誰かから声をかけられるのって気持ちいいゼ!
 

この辺りもさぞかし広大な棚田がつくられているのでしょうが、いかんせん降り続く小雨のため美しい稲穂たちの全貌が拝めないのが少々残念。棚田を見るのなら9月はぜひとも避けた方が無難だが、シーズンオフのため他のツーリストが押し寄せることはなく、村々を巡るのにはかえって好都合。村に着く手前で見た石造りの虚構は、打ち捨てられた洗い場でしょうか。
 

箐口村に到着、まず出迎えてくれたのは不思議な少女だった

石畳の道を15分ほど下り、やっと箐口村に到着する。

村の入口にはミニバス(小公車)が停まっているが、運行している様子がどうもない。ちなみに『地球の歩き方』に記される「磨茹房」ですが、磨茹とはキノコ、房とは部屋や家の意味となります。そこで磨茹房とはキノコ状の家といった意味となる(はずだ)が、この家の屋根の形状を見ると……キノコに見える?、うんこれは確かにキノコだよと太鼓判を押しちゃいましょう。再び『地球の歩き方』では「現代風」と記されているが、確かに壁は最近に建てられたものだと思うよ。でもね、決してシンプルモダンというモノではなく、ただミスボラシイだけの姿に少々唖然とします。
 

折からの雨で村の中は水浸し、レンガなどを運搬する男性が多く、村内に入ってイイかどうか躊躇してしまう。そんなとき、どこからか少女が私たちの前に来て、何か得体の知れないものを見つけたかのような目つきで私たちのことをじっと見つめる。そう、まるで道端に佇むネコが、警戒心をにじませながらも半ば好奇心を丸出しに少し離れた場所からヒトを見つめるような姿をとる、そんなネコちゃんが登場したかのような印象を持ちました。ただネコちゃんとは違い、この子は何を言っても反応がない。一応は”你好”と声をかけても、ただ黙ってジッと見つめるだけ。う~ん、そんなに見つめられちゃオヤジは照れちゃうぜ……ということはなく、これからどうすれば良いのか僕の方も途方に暮れるだけ。そうこうしていると、オジサンが家から出て来て私たちに声をかける。どうやらオジサンはこの子の父親の様子。事情を察したようで、これから村の中を私たちのために案内してくれるとのこと、ラッキーだぜ!
 

現在は観光村かもしれないが、当時はただの素朴な貧しい村だった

オジサンの案内に従い村の目抜き通りを歩く……とは言いながら、とくに何もない村。磨茹房がずっと立ち並び、確かに茅葺きの屋根は特徴的で見ようによっては「(元陽の)アルベロベッロ」だねとオジサンに言うが反応はナシ。
 

村の中には川が流れ男性たちが何やら作業をしている。オジサンに聞いたところ、砂金を採集しているとのこと。ザルの中を見せてもらったが、確かにキラッと光るものがいくつかあるが、それだけなら大したお金にはならない様子。ちなみにオジサンはここで、ヤゴ(っぽい虫)などの川虫をさらいビンの中に詰めていた。実は私は虫が嫌い、オジサンの虫取り姿に気味悪さを感じていたが、後ほどより戦慄の光景が広がることをこの時は知る由もなかった。
 

村には水車が所々にあり、現在でも動力源として使用しているとのこと。水車からは鹿威しのような樋が繋がり滑車が回っていた。こうした水力を用いて脱穀作業などを現在も行っているとオジサンは言う。無理に電線を通さなくても、村の水路だけを用いて動力をつくりだしている点、エコですね。ちなみに、こうした場所には所々で案内板が設置されており、将来の観光村建設の布石が垣間見えます。
 

こうしたハニ族の村では、水洗い場が人々の社交場として機能しています。この箐口も例外ではなく、やっと村人に出会えたことで私も興奮。「村の生活について満足していますか」と社会調査員のような質問をしたところ、笑顔で「太幸福」(とってもハッピーよ)と答えてくれて私もホッコリしました。ちなみにオジサンいわく、この村の女性たちは村外にほとんど出たことはなく、元陽(新街)すらもほとんど行ったことがないとのこと。
 

オジサンの家に上がると、驚愕の貧しくも幸せな光景が待ち受けていた

村を隅々まで歩きまわった後、最後にオジサンは「自分の家に行こう」と言う。ある意味、私もその言葉を期待していました。やはり家の中を見なければ、その村の生活水準が判然としません。

オジサンに促されるまま上がり込んだ家の暗さにまず驚いた。電気は通っているが……。暗さに目が慣れてくると、家の中には意外にもテレビなどの電化製品が置かれていることが判る。が、オジサンに使えるのかと聞いたところ、画面に映像が灯ったことは一度もないらしい。誰かから安く譲ってもらったらしいが、何も映らないテレビにオジサンは怒る様子もなかった。ただ「テレビがある家」に満足をしている様子。なぜなら、オジサンは私に「うちにはテレビがあるんだぜ」と自慢をしているかのような表情で、テレビを指さしたのですから。
 
端が欠けた椀にお湯を入れて私たちに差し出す。素直にお湯をいただくと、オジサンはニコニコ顔で、これはどうだと差し出したモノは・・・。

ヒエ~、虫の塩漬けがタンマリと盛り付けられた椀に、私は卒倒しそうになる。それを私に見せながら一つまみの虫を食べるオジサン。丁重にそれは食べられないとオジサンに言うと、とても残念そうな顔をしていた。オジサンいわく、この村には食べ物がどこにでもあり、これは先に見た砂金をとる川で拾った虫とのこと。「街の者たちは一所懸命に働かなければ食べていけないが、ここには食べ物も豊富にあり、皆が幸せに暮らしている」とオジサンは講釈を垂れるが、私はそのような生き方は絶対に無理!オジサンにはガイド料として小銭を置いて、(オジサンいわく)シアワセの家をあとにしたのでした。


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