ルアンパバーンでピーマイラオを存分に楽しむと、ノービザによる15日間のラオス滞在期限があっという間に迫ってくる。さすがに滞在期限を延長するほどのモチベーションはなく、流浪の民=オヤジにとっての恒例行事、なるべくコストをかけずに出国しようと計画を立てます。
 
ラオスから陸路で隣国へ抜けようとするとき候補にまず挙がるのはタイだが、昨今タイでは東南アジアを拠点とするバックパッカーに対して入国規制(いわゆるビザラン規制)を強めており、なるべくなら避けたいところ。その他の陸路越えとなるとカンボジアや中国、ベトナムとなるが、カンボジアはつい2週間前にさんざん旅行したばかりで候補からは脱落。残るは中国とベトナムになるが、ここで一番楽なのは中国へ抜け雲南省を旅行すること。雲南省シーサンパンナ(西双版納)はラオス国境からほど近いエリアで、私は1992年(!)大学生の時に旅して以来いちども訪れていない場所。バックパッカー歴に乏しい学生時代の記憶って、なぜか鮮烈に残り、キッカケがあるごとに思い出す。あらぬ方向に脱線しますが、ラオス旅行記からしばし外れ当時のシーサンパンナ旅行を少し紹介m(__)m

これ、シーサンパンナの中心都市「景洪」の中心地と路地裏の光景です。どうですか、昔の景洪って風情があるでしょ!
 

景洪はエスニック情緒が満載、街なかを歩く人たちはしっかりと巻きスカートを穿き、自らタイ族(泰族)だと誇りを持って主張しているようです。
 
さて、このシーサンパンナ旅行で印象深い出来事と言えば、船で外国人非開放地域に入り込んでしまったこと。1990年代初頭の中国はある程度の自由旅行は許容されていたが、とくに辺境では外国人の立ち入りが許されていない地域がまだまだたくさんあったのです。

私の場合、ゲストハウスで一緒だった日本人男性と景洪からカンランパに行こうと意気投合しボートに乗り込んだところ、全く別の場所に着いてしまった。当時は旅行に行くため何回か聞いたNHK中国語会話を駆使、話し慣れないローマ字読みのピンイン(北京Beijingをベイジングと言ってしまうレベル?)で一所懸命「カンランパ」と言い、船頭も(おそらく)「好了(OKの意味)」と答えたはず。ボートで30分もすれば着くだろうなと思っていたら2~3時間たっても目的地には着かず、これはマズいと感じる。船頭に片言で話しかけると、彼はやっと僕が外国人であることに気づいた様子で、船に乗り合わせた一堂全員の顔面が凍り付いた。ただならぬ雰囲気と筆談によって、私たちが来てはいけない場所に入ったことを知るのでした。どこかも判らない集落にとりあえず立ち寄り、(これまたおそらく)村長宅に身を預けられる。う~不安のあまり脱糞だ~(志村けん氏のギャグのつもり)
 
ただ、さすがそこは中国の辺境、謎の大歓迎を受けるのです。鶏の鳴き声(断末魔)が響き渡った後、豪勢(?)な鶏料理が供されるが、珍客を見るために集まってきた他の村人らが物欲しそうに見つめる中、私たちに食べろ食べろと促してくる。おそらく彼らは鶏肉を食べる機会など少ないのでしょう。しかも、豚さんまで連れてこられて絞められそうになったが、そこは腹一杯のジェスチャーをして止めてもらいました。
 
十二分に食事を出してもらった後、村をうろつこうとするが村長からきつく拒否のジェスチャー。う~することがないぜ。夜になると電気が通っていない、村と村長宅は文字通りの真っ暗闇に変貌、ロウソクの薄暗い炎が灯りだす頃には不安などいつしか遠くに飛び去る。できることと言えばただ寝入るだけ。
 
翌朝、朝食をとるとすぐ、村長と一緒にボートに乗り込み景洪に戻る。公安に出頭したときはさすがに緊張と不安がマックス状態に達したはずだが、ほとんどお叱りをうけず、おそらくパスポートをチェックしただけ。ペナルティーといえばカメラの中のフィルムを没収されただけでした。
 
と、長いながい学生時代の思い出話を書きましたが、結局何を言いたいのか・・・つまり、鮮烈な記憶が残るシーサンパンナに新たな思い出を上書きしたくなかったのです。1990年代前半と異なり、2010年代半ばの中国シーサンパンナはきっと当時の痕跡すらも見つけられないほどの大発展を遂げているはず。あの素朴な人々や光景の記憶が上書きされ消えてしまうのは・・・恐ろしい!とすると、ルアンパバーン発ウドムサイ経由シーサンパンナ方面行き国際バスに乗ることは避けたい。そこで、ベトナムへ抜けるという結論に達しました。
 

途中バンビエンで宿泊、新たな仏像の除幕です

今回のルアンパバーンからベトナムまでの経路は次の通り。

    〇ルアンパバーン午前発→午後着バンビエン(泊)
    〇バンビエン午前発→午後着ビエンチャン夜発→(夜行バス泊)
    〇午前着サワンナケート(泊)

私にとって馴染み深いサワンナケートに1泊した後、早朝に出発する国際バスに乗りフエへ向かおうと計画を立てました。ちなみに、ベトナムは北部(ハノイやサパなど)や南部(ホーチミンシティやカントーなど)は過去にまわったことがあるが、中部の観光都市フエ・ホイアン・ダナンなどはこれまで行こうという気さえ起きなかった。先入観で言わせてもらうと、過去、中華王朝の冊封にあったベトナムのグエン朝の王都、つまり疑似中華の遺物を巡るというのは興味がどうにも持てなかった。古い中華風の街なら、上海近郊でさんざん行き尽くしたし・・・。
 
とは言っても、足を踏み入れていない場所に行くというのは、やはりワクワクするもの。しかも、ラオスの夜行バス=寝台バスって乗ったことはない、初体験や!
 

まずはバンビエン。訪れたことがある方なら、街の中心にある寺院に安置された金色の仏像に見覚えがある方がいるのでは。実は長い間、白い布がかけられ、まさにベールに包まれていた仏像が、僕が到着した日に除幕されたらしい。う~ん、この仏像さんのお姿はけっこう気になっていたんだよね。除幕式に呼んでくれー!
 
と、始めに30年近く前の昔話を長々と書いていくうちに、昔の記憶を思い出す作業に頭をフル回転させてしまい疲れてしまった。今回の記事ではラオスの寝台バスやサワンナケート~フエ間の国際バスについて記すつもりだったが次回にそれをまわし、旅日記はベトナム編に移行したいと思います。


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