これまで多くの東南アジアの街を紹介しましたが、その大半は旅行記の形式で、まぁ記事の分量だけは多いと自負する我がブログ。今まで公開した情報を多少はまとめた方が良いのではという考えも少し浮かんできたので、今回はその記念すべき(?)第一回!私が独断で選ぶ東南アジアのゴーストタウン3ヶ所を選び紹介します。ただ、単にゴーストタウンと言うと「人々に打ち捨てられた廃墟の街」といったイメージとなり、古い都市遺跡や過疎化が進んだ町村も含まれてしまいますが、それではあまりに広すぎる!東南アジアにはそんな”ゴーストタウン”が数えきれないほどあるので、今回の記事では少し枠をハメたい。
 
記事の本文に入る前に前置きが長くなるのは私の悪い癖だと自覚していますが、どうかご了承くださいm(__)m
 

今回の記事で扱うゴーストタウンとは、私が実際に訪れた場所のうち・・・

    1)現代に廃棄された街:ハッキリ言います。東南アジアの遺跡、例えばカンボジアやベトナムのクメール遺跡やミャンマーのバガンなどは確かに廃墟。ただ今回の記事では、そんな廃墟遺跡にはお引き取り願い、現代(20世紀後半以降)に廃棄された街を取り上げます。
    2)ダークツーリズムの視点から選択:やはり記事を書くからには私の個性を出さなければなりません。ここで「ダークツーリズムとは?」となりますが、簡単に述べると「戦争や災害、公害といった人類の死や悲しみを対象にした観光」という定義になるでしょうか。日本で例えれば、広島の原爆ドームや東日本大震災の被災地などが当てはまるものと思われます。詳しく知りたい方は井出明さんが数多くの一般書を執筆しているので、ご参考までに。

では、私が感銘を受けた東南アジアのゴーストタウンとして以下の3ヶ所を選んでみました(拍手!)。

 〇ボーコー国立公園(ボーコー・ヒル・ステーション):カンボジア
 〇ボーテン:ラオス
 〇シドアルジョ泥火山:インドネシア

 

ボーコー国立公園:カンボジア

カンボジアはダークツーリズムが花開く国。1970~90年代に繰り広げられたカンボジア内戦期の痕跡は、今や観光資源として多くのツーリストを集めています。そのうち代表的な観光(?)スポットとしては「キリングフィールド」が挙げられ、プノンペンやバッタンバンなどカンボジアの主要都市でトゥクトゥの兄さんに声をかければ喜んで連れて行ってくれます。そこではクメールルージュ(ポルポト派)により惨殺された無数の遺骨(頭蓋骨)が迎えてくれるでしょう・・・って、このブログ記事でキリングフィールドは扱いません。なぜって、クメールルージュによる粛清の跡はカンボジア各地に残り、これ1つだけと選択することはできませんので。

上の写真は私がはじめてカンボジアを訪れた2002年、プノンペンのキリングフィールドで撮影したもの。当時はまだ観光化も道半ば、周囲にはスラムが広がり・・・って、キリングフィールドの紹介はここまで。話しをボーコーに戻します。
 

ただね、ボーコー国立公園については以前の旅行記に掲載しているので、ここではボーコーの歴史を手短に紹介します。
 
カンボジア・カンポットの郊外に広がるボーコーの丘陵地帯は、1900年代初頭にフランスによって避暑リゾート地として大々的に開発されたが、カンボジア内戦によってせっかくのリゾート街が破壊され廃墟化。多くの施設はクメールルージュによって占領され、1990年代まで軍事拠点として利用されていた。現在は、廃墟と化した植民地時代のリゾート施設(カジノホテル、教会、王族の別荘跡など)が、バックパッカーの琴線を妙に揺さぶる。最近(2019年)にはカンボジア政府が本格的なリゾート都市をボーコーに建設することを発表するなど話題の観光スポットゆえ、いかにもゴーストタウン然としたウラブレタ廃墟を堪能するなら今のうちと言えるかも。
 

ボーテン:ラオス

ラオス北部の中国国境と接した街ボーテン、私が訪れた2012年当時はまさにゴーストタウンの様相を示していました(当時の訪問記事はリンクをご覧ください)。さて、上に挙げたいかにも美しいリゾートタウン、実は国境を接する中国人観光客を見込んで建てられた豪華(!)カジノホテル!まだまだ建てられて日が浅そうなのに、なぜか営業はされておらず周囲は草ボウボウ。美しい街路を歩く人はほとんどいなく、たまに見かける人は(リゾート開発に目が眩んだ)お金儲けに失敗した中国人の方々。
 
さて、なぜこのボーテンが当時ゴーストタウンと化したか、そしてダークツーリズムと関連があるかと言えば・・・2003年以降、中国企業によりギャンブルの街として開発されたボーテンだが、発展に伴い犯罪が多発、買売春や薬物乱用・殺人事件が横行したため、ラオス政府により2011年カジノなどが閉鎖されてしまう。その結果ほぼ全ての人々は去り、ボーテンの街は急速にゴーストタウン化したのでした。
 

どうですか、昼と夜の光景は?ここに犯罪組織が跋扈しているとしたら・・・ヒェェ~!
 
しかし、このボーテンを巡る歴史の波はこれで終わりとはなりません。中国・習近平政権は一帯一路政策の一環として中国・ラオス間の鉄道建設に着手、国境の街ボーテンにも鉄道駅をつくることに合意をしたのです。その結果2017年以降、再び中国人の建設作業員が大挙ボーテンになだれ込むことになる。中国人により翻弄されるボーテンの未来はいかがなことに?
 

シドアルジョ泥火山:インドネシア

さて3番目に紹介するのがインドネシア、ジャワ島の大都市スラバヤ近郊にあるシドアルジョ泥火山です。ちなみに上記2枚の写真だけはwikipediaから引用したもので2007年に撮影されたもの。これ以外は当然のことながら私が撮影した写真だけを掲載します。
 
詳しくはこちらの訪問記事をご覧いただくとして、なぜ日本国内ではマイナーな場所を紹介するかと言えば・・・シドアルジョ泥火山の人災ともいえる悲惨な状況を、2019年3月に公開した私のブログから引用して解説します。
 
「2006年5月、シドアルジョの天然ガス採掘現場から、突如、高温の汚泥と有毒ガスが噴出し始め、2ヶ月後には噴出量が1億2600万㎥にまで増加、2006年10月時点で被害面積は4.15㎢に及び4つの集落が壊滅、住民約9100人が避難する事態に。しかし当時のインドネシア政府が有効な対応手段をとれなかったため、その後も被害は大きく拡大、また泥土には有害な重金属を多数含んでいたため深刻な環境汚染をもたらす結果となりました。
 
さて、ここで問われるのは、こうした被害の拡大と周辺環境の汚染が自然災害によってもたらされたのではなく、完全な人災であったという点です。まず、泥土の噴出事故自体が、天然ガスの掘削作業によって引き起こされたとする意見が大きい。しかも、事故の初期段階では政府による具体的な対応がなされなかったこと、また、2007年以降、近くを流れるポロン川に泥土を流す作業を行ったが、それでも泥土の流出を止められなかったばかりか、環境汚染の拡大をもたらす結果となる。
 
噴出事故の概要についてはここまでにしておきます。ただ、泥土の噴出自体は2017年以降弱まってきたとは言え、環境汚染に加え住民補償など、解決が先延ばしにされた問題が山積された状況は現在でも変わりません。」
 
どうですか、当時の私の多少は熱の入った文章からも、ここがいかに悲惨な”ダークスポット”なのかお判りいただけると思います。2015年、このシドアルジョに降り立った私はあまりに茫洋とした光景に言葉を失いました。

この泥の下に村々と被災した人々が埋もれてしまっている。しかも、数々の有害物質も噴出しているため掘り出すことすらできない・・・。
 
この地では本来ガイドさん(被災した方々)に同行してもらい歩かなければ危険なことを、私は身をもって知らされましたが、地元の方に助けてもらい一命をとりとめる(大げさじゃないよ!)。その辺りの経緯は当時のブログ記事をご覧ください。
 

彼の案内に従い、かなりの奥地にまで足を踏み入れる。いまだに水蒸気がモウモウと立ち上がる噴火口の前で彼は静かに声をあげた。”あの場所には自分の育った家があった。家族で生き残ったのは私だけだ……”
 
悲しみに包まれた静寂が重く押しかかる中、耐え切れなくなった私はその場を早く離れたい一心で彼のバイクに乗り込みました。


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